私の友人の子供で、いわゆる「やんちゃ」な子がいる。小学生の頃の授業態度は悪いし、先生に対しても態度も生意気。物事に対して大雑把で(ここだけは息子と同じで、そこに関して気が合うようでした)、遊び方も豪快、奔放で野生児のよう。でも、その子は決して周りに対して乱暴はしないのだ。暴力を振るった話を聞いたことがない。ヤワな我が子をかばうために、いじめっ子を押しのけるとかその程度である。本当に「もううちの子はあんなで仕方ないの」と言うならば、ああいうタイプが許されるのであって、他人に危害を加えたり、手や足が簡単に出る子のことではない。
 「男の子だから」=暴力沙汰を起こしたり、問題を起こしたりする、と正当化する親に言いたい。そんなものは言い訳にならない。そういう言い訳ができるのは、幼稚園いっぱいくらいまでである。社会性を身に着けていくというのはそういうことである。大勢の中にいてまだそういう問題を起こすのなら、親は努力するべきである。自分の子供と向き合わなければいけない。開き直らず正当化せず、どうしてこの子はこんな風になるのか、ちゃんと自分の頭で考えてほしい。何か自分の頭をかすめることがあるのなら、それを子供と突き詰めて考えてみてほしい。良いところもあるから、許されるのではない。良いところは良いところ。裏表のようでも、暴力とその子の至らない所は、別問題である。
 そして、やっと話が戻るが、その担任の先生がそういうタイプであった。だから我が子のことを真に理解できていないようだった。男の子なのに。っていう。
 だから「男の子の兄弟のいる子は大変ですよ」ってよく私に言っていた。我が子は一人っ子だということもよく強調していた。「大事にされ過ぎである」と。
 息子が、一人っ子がゆえに目が届き過ぎるところがあることは私も感じている。でも。私に友人が皆無だとでも思っているのだろうか。私の母親友達のほとんどが、息子を通じて知り合ったから、子供は男の子の家庭ばかりである。そして多くが、さらに男の子の兄弟を抱えている。私自身、兄がいる。何も知らないとでも思っているのだろうか。私の付き合いのある母親友達たちの中には、私よりもっと子供を、その兄弟ともを、大事に大事に育てている人は少なくない。中学に入ってからは学校の環境もあるからか、余計周りには私と似たような子育てをしていると感じることが増えた。私だって息子は大事だけど、甘やかしてはない。子供をある程度守らなければいけないのは親の役割であるし、当たり前の感情である。そして時代の流れもある。あまりに発展が早い世の中で、適応し、あらゆることにへこたれない、負けない心を育てたいと思っている。どうしたらそのような心が育つのか。「子供」ではなく、子供の「心」を中心に考えて、接していかなければいけない。その内容が正解か間違いかはわからなくても、あらゆることを参考に、一生懸命やっていかなければ、あまりに早く進む世の中に次の世代は、心が対応しきれなくなる。それを考えずに「大事にし過ぎ」というのは大変な筋違いだと思っている。それに、すごく望んで一人っ子にしたわけではない。親戚も近くにおらず、一人っ子であることを、私自身もどれだけ不自由に感じ、その言葉に傷ついてきたかを彼女はまったく気にしていないのだ。