しかし問題は、そういった子たちの親やそういった子たちをかばう先生である。
 まず親で、「頭を下げて回るので大変よ」「困ったわ」と言っているのは良い方である。表面上は困ったとか謝ったとか言っていながら、「男の子ってそういうもんでしょ」と、心の中ではそういう風に思っている親に「いやいや、そうじゃないんですよ。」と言いたい。それにそういう問題を起こす子の家庭は何かしら問題を抱えていることが多々である。その子自身の個性ということはあるが、親が心底どうしましょう、どうにかしたい、どうにかならないものかと困っているのでない場合、家庭に問題があることが多い。語弊があるかもしれないが。全部が全部とは言っていない。そういった子供のしつけに頭を悩ませている親御さんに向けてのものではないことはわかっていただきたい。真剣に悩んでいる人がいるのも知っている。そうじゃなく、どこかで「まあいいや」「男の子ってそんなものでしょ」と思っている親は、やはりそういった根本的な問題に向き合えない人が多い印象だ。
 それの何が問題かと言えば、そう思っているからどこか開き直っており、子供と話し合うとか、社会について話すとか、そういったチャンスを逃している。社会について話さないとその子供はあまり幸せにはならないだろう。そもそもそういう家庭なのだから、幸せにはならない確率が既に高いわけなのだが、そういうことに無頓着な親は見ていて本当に悲しくなる。友人ならなおさら、話す気が失せてしまう。私は友人のカウンセラー的な役割を単発的になら担えるが、ずっとはできない。何故なら友人だからである。友達はやはり気を遣わずに気の合う人が良いし、感情的になった時に、意見は一致しなくても率直に言いあえて受け入れ合える人が良い。そうじゃない間柄は疲れるのだ。もしカウンセラー的な役割をずっとしてほしかったら、料金を頂きたい。冗談だけど、それくらい疲れるということである。そしてカウンセラーの役割を求められ続けるのであれば、友人という座からは降りる。友人であるなら、感情的になることがあって然るべきなのだ。
 子供自身は腹が立ってケンカになったことに理由はあっても、暴力を振るって良いという理由にはならない。手は出してはいけない、ということを家庭で話し合えないようなら、そういう友達が増えていくことだろう。少なくとも家庭で話し合えないようなら、その敷居は低いということである。子供の頃の一回や二回くらいなら仕方ないだろう。でもあの子は暴力的なところがある。手が出る。という風に思われているとしたら、それは一回や二回のことではなく、そういうタイプの人間であるとみなされる。子供社会でもそうだ。
 男の子と女の子の脳は、生まれた時から働きが違う。そのエネルギーも表現の仕方も。男の子は母親にとって未知の生物、理解ができないこともあるし、女の子とは違った方法で接したり育てたりしなくてはいけない。でも男の子だから大変、というのは真実であり、女の子も「また違った面で」大変なのも真実である。だから「男の子だからやんちゃでどこかで問題を起こしてもそういうところがある」と言うのは、周りの考えとして悪くなくても、当人である親がそう思って開き直っているのは違いますよと言いたい。それ以上にその子の個性であるということ。そして、親の頑張りどころであること。そういう子ほど繊細で感受性が強かったりする部分があるのだ。そこに対話していかないと。