息子が小学校を卒業して二年以上が経ち、ようやく書けることがある。
 小学校の問題とその組織の在り方についてである。小学校に限ったことではないのはわかっているが、息子の通っていた小学校の先生は、私と教育に対する考えがあまりにも違ったので、批判したい気持ちが強かった。でも在学中は、ここに芯をついた内容まで書く気持ちにならなかった。別に誰の目に触れるというわけでもないし、書いたところで子供も見ないのだけど、何となく自分の気持ちとして、やはり客観的になれないからということもあり、ただの悪口に終わるのではということもあり、書けずにいた。
 6年生が終わる頃に、周りの客観的に発言できる立場の人の意見を聞いたりしているうちに、自分の気持ちが整理できていったことを感じ、ようやく文章にまとめられそうだと感じた。とは言っても、漠然と感じていることを文章にするのは、少々難しく、ダラダラと長くなるかもしれない。
 その先生に関して書く時に、思い出しては嫌な気持ちになることがある。どうしても書いておきたい。
 「男の子は少々乱暴であって然るべき」みたいな風潮、やめてほしい。
 実は私もちょっとはそういう考えを持っていた。息子ができるまでは。少々性格や行動がキツくても、男の子は社会で生きて行くうえで、そのくらい必要であるのではないかと。息子ができるまでは。
 大人が実際に言動が乱暴であっては困ります。私自身、幼稚園生や小学生の頃から、腕力にものを言わせるタイプの男の子は嫌いでした。「好きじゃない方だった」なんてものじゃありません。嫌いだったんです。穏やかで知性があり、包容力のある子が好きだった。でも、自分の中で免疫力をつけたかったのだろうか、男の子ってそういう乱暴なところがあるものでしょって思っていた。しつこいけど、「息子ができるまでは」。
 そう、息子が成長していくにつれて、我が子がそういうやんちゃなタイプの子ではないとわかっていった。おもちゃの取り合いで、息子はよくひったくっていたが、自分がひったくっておいて直後に決まって大号泣していた。どないやねん、と心の中で笑いつつ困惑していた。怖いことからは逃げるし、嫌なことは全力で抵抗した。積極的に何かがしたくて大ぐずりするのではなく、何かがしたくなくて大ぐずりってことばかり。やりたくないことは絶対にやらない。
 小学校に入ってから、嫌なことを言われた時も、小学校の頃の私以上に何も言い返せないタイプだった。感情が強すぎて言葉にならなくなるのだ。ああそれはわかる、私もそういうことあるある。と思ったものの、男の子なのにこれで大丈夫だろうかと心配した。
 でも、色々と調べていくうちに、こういうタイプの子は一定数いると知った。しかも、乱暴な子の方が実は少数派なのだということも。そういう子たちは言動が派手なので目立つだけなのだ。そうか、そんなものか。