人の心というか、性格、私のことについても書きたい。
 子供の頃から、融通のきかないところがあるということは自分でも感じていた。でも、かなり「どっちでもいいよ」タイプだとも思う。流れに身を任せたり、何も考えずにいるせいで緊張もせずに失敗の連続だったり、周りを見ながら行動したり、簡単に自分の考えを変えたり。そういう部分もある。心には残っているけど、そんなに悪いという気持ちもないので、かなり無責任でもあると思う。いけなかったのかとか、あんなんでよく切り抜けてきたなあとか今振り返るとなんてひどいと思うことはあるけど、これがまたいい加減で、まあ仕方ないやで終わってしまうところもある。反省したって、頭を抱えてわーーー!!って落ち込むばかりなので、とりあえずこれで無事に生き抜いてこれたことに感謝する。
 あと、年配の方々の受け答えには非常に興味があって、受け入れつつ自分の意見を言うという人のことは自分と意見が違っても、だいたい「違うなー。でもえらいなー」と単純に思ってしまう。もっと融通のきかない人やその場しのぎができない人、突然の場面に応じることのできない人をたくさん見ているので、私はテキトーなんだなと自分で思う。
 なので、自分の融通のきかない部分に関しては、自分の中の全体的な性格の割合からすると、それほど大きくないはずだと自分で思っている。
 大きくないけど、そこは譲れない部分でもある。少なからずある。そしてここを融通がきかないとか頑固だとか言われることがある。
 ですが。だけど。でも。私は声を大にして言いたい。私からこれを抜くとただの骨抜きだ!自分がない、芯がない、心が強くない、考えや意見を自分の頭で考えていない、そんな人、私はもっとも軽蔑する。そして、「絶対」はないということを考えられない人も同じくらい軽蔑している。絶対はないと考えられる人は、人が自分と意見が違っても「ああそうなんだ」と受け入れられる人である。だから周りに自分の意見を押しつけない。ただ押し通すことはあるだろう。押し通して良いのは、周りに大きく影響が及ぼされない時だと思っている。だから、自分に直接関わることは押し通したって良いと思う。見栄とか外聞とかで押し通すのは論外。周りに大きく影響というのは、やっぱり多面的に考えてほしいということだ。人に迷惑をかけるかけないは、日本人が気にし過ぎるところだと言うけれど、私はそこは日本人の節度ある素敵なところだと思っている。自分を息苦しくするくらいの過剰さがない限り、考えるべきところであり、秩序が保たれる良いところだと思う。
 なので、それ以外の自分の判断に関して、それが自分でよく考えた末の納得のいく答えであれば、なかなか私は動かない。だって「よく考えた末の納得のいく答え」なのだから。そこに至るまで相当感じたり考えたり、自分の中で葛藤を抱えたのだ。そう簡単に行き当たりばったりで、こうしようって思ったわけじゃないのだ!だから自分の意見を言う時はだいぶ考えが固まっていて、それが簡単には動かないので、頑固とか言われちゃうのかもしれない。もちろんその考えが固まるまでは、私だって昨日ああだと言っていたのにこう、と揺れ揺れなわけで、ものすごく迷うことが多い。人の意見に左右されることも多々なのだ。