思春期は、心配事も尽きないし、親の修行の場でもあり、どうしてこうなっちゃったかなと自分の子育てを振り返る時でもある。
 自分が厳しくし過ぎたのか、はたまた甘かったのか、息子を追い込んだのか、心配し過ぎか、はたまたほっちらかしてしまっていたのか。
息子が思春期に入ったなあと実感していることの中に、反抗もある。
 ゲームをしている息子の横で、時々見ながら楽しく会話していたことがあったのだが、「息もつかせないねえ」と言うと「息もつかせる」と言う。「いやいや、お母さんの気持ちの話だよ」と言うと「息してるじゃん」と言う。「例えだよ」と言うと「わかってる」と言う。クリアして「おめでとう!」と言うと、いつも当人は、お父さんやお母さんがクリアすると「おめでとう」と言うクセに「おめでとわない」とか言う。
 この時ばかりは、オマエの反抗は幼稚園児か!とツッコミを入れたくなった。面倒くさいから黙っていたけど。そしてしばらくすると、何事もなかったように話しにくるのだ。
 こうやって書いた内容の頃からとりあえず、強い反抗は一段落しているが、周りの物事に敏感になったなあというのは感じる。周りからどう見られるか、どのように言われるかを気にするようになった。そんな子に育てた覚えはないのだが、気になるお年頃なので仕方ない。気になるという息子の気持ちは尊重したいと思う。
 さらに、今まで書いたことの総まとめのようなことなのだが、つくづく「距離を置かないといけないなあ」と感じている。口出しはまったくしないわけではなく、言わなければいけないことは仕方ないのだが、本人の考えや気持ちは、以前以上に尊重しないといけないという印象だ。今までは、どうでも良いことを選択する時に意見を聞いて、本人の意識や感情を刺激していたが、今は何に対してどのように感じているかを自分から言うようになり、少々トンチンカンでも否定せずに受け止めることにしている。私自身の意見があれば、「お母さんはこう思うよ」と言ってみたり。
 しかし、その選択が寂しいと思わずにはいられないことも多々ある。好きな人となら(誰とでもではないのが大事な部分なのですが)一緒に何かをするのが大好きな私は、息子と行動を共にするのももちろん大好き。でも、もう息子はそんな必要もないし、行動を共にしない方がむしろ良い場合もある。どこかへ行く時に、夫や息子などと一緒だと楽しくて仕方がないのだが、「僕は良い(行かなくても)」「留守番してる」とか言われると、無性に寂しい(これも一年も経てば全然平気になりました)。でも一人でいたいのだろう、一人の時間も大切だと思って、納得するようにしている。「〜したら?」という言葉に対しても「今しようと思ってたの!」とか「こうするの!」とか言われると、一瞬ムカとくるが、基本的に素直な息子なので、ヨシヨシちゃんと自己主張できたとホッとしたりもする。
 以前も書いたことがあるが、子供は親の一言にひどく傷つくが、親は子供の一言に悲しんだり怒ったりもするけど、そう傷つかないのだ。だから、ひとときの悲しみとか怒りなんかはやり過ごせたら「よくやった私」と褒めて、息子の気持ちは流すことにしている。
 やっぱり子供の思春期は、それはそれで親が我が身を振り返る時期だと思っている。