音楽のカテゴリーに入れるか、ここの帰国子女のカテゴリーに入れるか、だいぶ迷ったが、まあ帰国子女かなと思い、こちらの方針で書いている。
 以前、家族でカラオケに行った時、『はじまりのうた』の‘A STEP YOU CAN’T TAKE BACK’が歌いたくて、色々探した。見つからず残念だと夫に言ったら、夫が『はじまりのうた』の中の別の曲‘LOST STARS’を入れて「歌ってみたら」と促してきた。車の中で何となくわかる歌詞を口ずさむとかそういうことのなかった曲なので、戸惑いつつ、追いつかないところもありつつ、まあまあ歌えたのだが、歌いながら、色々と感じていた。
 子供の頃聴いていた、ビートルズとかアバとかの曲は、練習しなくても歌詞さえ見ればだいたい歌える。しかし、中学生以降に聴いていたマドンナとかホイットニー・ヒューストンシンディ・ローパーの曲なんかは、割と練習した。譜割が結構難しくて、単語のどこを早口にするとか、どこで切るとか、どこを伸ばすとか、何度も聴いて練習したりしないと、うまくついていかなくなる。そして時々は自分の歌声を録音して、ちゃんと合っているかどうか確認した。その時のあまりの下手さ加減に頭を抱え込みたくなるのだが、とりあえずリズムは取れていて譜割が間違っていなければ、音程が少々外れていても修正しながら、口ずさめるようになっていく。
 ところが、どうしてもうまく歌えない部分がいつも何か所もあるのだ。
 それは、母音。
 日本語は、文字の一音一音がとてもハッキリしていると私は感じている。一つの母音の中で音程が変わっているにしても、それでもわかりやすい。しかし英語の場合、一つの母音の中で変わる音程が、とても曖昧な上がり方や下がり方をする。その音に届くまでの変化がハッキリしないこともある。一つの単語の中でのイントネーションの上下も激しい。それは英語の特徴でもあり、音楽とは関係なく、母音の中でそうやって少しずつ変わっていく音に対し、メロディが甘えている。つまり、母音て、音が変わっていくものだから、音程もちょっとずつ上がったり下がったりしても良いでしょう?てな感じに私には聞こえるということだ。だから、どうしても歌っている側の音程が甘くなる。プロのミュージシャンたちはその辺の音がしっかりとれているし変化してもそれを味としているので、やっぱり歌がすごく上手いのだと今更思った。
 『はじまりのうた』で、主人公の女の子は、歌うことに関しては素人という設定だし、本人も女優が本業である。だからちょっと素人くさい歌い方で、それがすごく良いのだが、彼女もまた音程が甘いところがある。これは英語である以上、仕方がないのではと思う。
 歌いながらそんなことに気づいた。
 英語って、そもそもが母音の中で変化していくということ。音楽に照らし合わせた時、それを利用して音程も、一つの母音の中で変わっていくことが多いということ。だから初めて歌う歌や難しい歌の場合、子供が歌っているような甘い音程の取り方になってしまう。素人だとそれはそれで味になるし、仕方がないのだ。とか自分で自分に弁解しつつ、英語の音の面白さを改めて認識した。