東日本大震災の時には、息子を迎えに行くタイミングをうかがっているうちに、知り合いの車に乗せてもらって帰ってきたこと。息子が津波の映像を観て、何も食べることができなくなってしまったこと。私も日に日に段々と食べ物が喉を通らなくなってきたこと。夫と息子の気持ちを押し切って、避難したこと。車のガスが足りないかもしれないとハラハラしながら西へ移動したこと。真夜中に吹雪く中、その日はホテルに向かったこと。宝塚に行くと、関西の友人たちや家族が「避難してゆっくり休んで」と安心してくれたこと。自宅に戻ってからも周りの田んぼや畑を見ながら「あの地震がなければ」と何度か思ってしまったこと。友人たちが色々と段ボールに詰めて送ってくれたこと。両親に野菜をこまめに送ってもらったこと。あの時から夫の仕事内容や忙しさが変わったこと。家を建てる決心をしたこと。
 東日本大震災の後、何人もの知り合いから「阪神大震災の時は、遠い所でのひとごとだと思ってしまっていた」と白状された。仕方のないことと思いながら、そんなものなのかと思った。熊本での大地震を知った時に、私にもどこか遠い感覚だという気持ちが起こりそうだったが、阪神大震災の時の激しくこの世の終わりなのかと思わされた大きな揺れも、東日本大震災の時の終わらないんじゃないかと心配になる長く大きな揺れもどちらも怖かったことを思い出す。今回は大きな地震が何度も来ていて、その恐怖心たるやどんなものだろうと思うと、胸を痛めずにはいられない。きっと怖くて眠れなくて心身ともにクタクタだろう。ニュースを見て不安や恐怖をあおられる気持ちはなく、ただ何か助けになるようなことがあれば、困っていることは何かと知りたい。
 最近では、ボランティアや救援物資など、機能するようになり、ツイッターなどで人々が何を要求していることがわかるようになり、その辺りは便利になったと思う。
 でも最初の一週間はパニック同然である。うまく機能せず足りない物も多いだろう。周りの店にも物が足りないだろう。飲み水、高齢者のオムツや赤ん坊のオムツ、ミルクが足りないという書き込みが多くあった。個人的には、女性の生理用品が心配である。きっと不足している。あの、体も心もだるくてグズグズした感じは男の人にはわからないし、言えないし、黙って我慢している人がどれだけいるだろうと心配になる。気を失ったり吐いたりするほどお腹が痛かったり、冷えて脂汗をかきながら苦しい思いをしている人もいるだろう。胃薬と鎮痛剤を早急に欲しがっている人もいるはずなのだ。お金は持って出ただろうか。周りの店に生理用品や胃薬や鎮痛剤は残っているだろうか。そして皆の精神状態は大丈夫だろうか。何度も強く大きな揺れが来ていることから、きっとギリギリなことだろう。
 どうか、持ちこたえてほしい。きっともう少ししたら前を向いていけるはずなのだから。
 阪神大震災は半年間、雲の中で生きている感じがした。でもその後、ぐんぐんと街も人々も復興した。東日本大震災は、まだまだ復興半ばだが、前を向いて頑張っている人たちが多くなった。それぞれの地震の特徴は違うけれど、きっと九州の人々も大丈夫になるから、とにかくまずは一週間、それから次の一週間、と、なんとか持ちこたえてと祈っている。