熊本県震源地とした大地震が起き、驚きました。阪神大震災の時も東日本大震災の時もかなり「当事者」だった者として、「日本の中での全然別の土地での大きな地震とその被害」というのが、どうにも信じられないような気がしている。
 しかし、テレビを観て現地の人々の声を聞いていると、阪神大震災と揺れの感じが似ているという印象を受けた。
 阪神大震災の時のことはここで書いたので、地震のこと自体を細かくは書かないけど、地震の影響について、色々なことを思い出し書こうと思った。家が余震の度にミシミシ音を立てたり、ガスのにおいが近所を充満していたりしていたこと。家にあったおやつを食べながら、一日家の中を片づけたこと。ピアノや冷蔵庫が動いていたので戻そうと思ったら、何人もかかったこと。色々な電化製品が吹っ飛んだこと。水が一か月近く出なかったこと。工夫して食事して、いつ水が出るんだろうと、何度も水を家に運びながら不安でいっぱいだったこと。親戚がガスコンロとガスボンベを送ってくれたこと。それで時には温かい料理を食べることができたこと。お風呂に入るために親戚のウチまで週に一回時間をかけて行ったこと。食パンを手に入れるのに2時間ほど並んだこと。私は24歳くらいだったっけ、怖くなって一人で眠れなくなったこと。一か月して自分の部屋で寝なきゃと頑張ったが、それから数か月、電気を消して寝ることはできなかった。顔を洗う水もないので、顔にいっぱいブツブツができたこと。つぶれた家が線路の両側に並んでいるのを見ながら毎日通勤したこと。見ず知らずの色々な人が話しかけてきて、お互いの家や家の周りの様子を伝え合ったこと。これを機に、家具の事や物の置き方、色々なことが地震が起きた時を基準に考えるようになったこと。これは本当に今でも常に頭にあります。
 そしてもっと被害を受けて避難している人たちのために、一人で、又それを聞いた友人と一緒に、ボランティアに行き、荷物を仕分けたこと。荷物を仕分けながら、一緒に荷物を分ける人々の気持ちや、こうやって何とか助けになってほしいという荷物を送った人々の気持ちが嬉しくて励まされたこと。
 人々の悲しみと、温かさを同時に、苦しいくらい感じさせられる毎日を過ごしていた。
 地震の様子が新聞に大きく出される度に、「そうそうこういう風になってるんだよ、全国のみんなに知ってほしいよ!大変なんだよ。どうか伝わって」という思いがあったし、こんなことでこの辺りの土地が有名になるなんて、という思いもあった。又、自分たちが住んでいた宝塚市の被害が、他のひどい被害に紛れてしまって大きく取り上げられていないことも不満だった。私たちの住んでいる家から最寄駅までの間に、確か十数人が亡くなっていたし、市内だともっと多くの人が亡くなっていた。駅まで徒歩十分が、車で二時間ほどかかってしまった。同乗していた父に、「隣りのトラックのおじさんにあげようよ」とおにぎりを渡したら、「アンタ、ええ娘さん持ったなあ」と、お菓子を車の中に投げ入れてくれた。
 阪神大震災の時の人々の温かさを感じて、おそらく友人や知り合いたちもそうだったのだろう。東日本大震災の時に知り合いたちが心を寄せてくれたことが本当に胸に染みた。