息子と色々と話しながら何か物事を決める時、息子はどうだかわからないが、私にとっては、納得する答えを得るための「選択の時間」「考える時間」である。それを楽しんでいる。何となく選んでも良い場面では良いのだが、私にとって納得がいかない場合、息子からハッキリとした考えを聞きたい。何故それを選ぶのか。それを選ぶ時のメリットは。リスクは。それで納得する返答が得られたら、もう何も言わない。なんとなく「良いのかな」「大丈夫かな」「わかってるのかな」と思いながら、時間を過ごしたくない。いちいちうるさいのかもしれないが、その会話を進めている時の過程は意外と楽しんでいる。
 父親ともそういうところがある。二人で下らない事をあーだこーだと言っているうち、「じゃあ決まらないじゃない」と、あまりの話の進まなさに爆笑してしまうことがある。大人になってからでもこういう会話のやり取りはある。お互い考え得る色々なケースあり、と自分たちの意見を出し合って、じゃあどうするのと考える過程は面白い。気持ちや時間に余裕がないとできない。そして、そこに水を差されるのが私は大嫌いだ。だって必要だと思っているし、気持ちの余裕とユーモア精神がないとできない。
 親子間でこれができない人たちが多い。待てない親。子供の考える作業、ユーモアを育てる作業、好奇心を満たす作業を待てない。子供が手と足、頭を使っている時間をせかしてしまう。どうしても急ぐ時には仕方ないけど、自分の都合だけなら、そんなものは後回しにして、子供のあらゆる面を育てる機会を逃すなんてもったいないと思う。これは、息子がいくら大きくなっても思う。我が家は幸い一人っ子だから幾らでも待つが、もし兄弟姉妹がいたとして、これくらい待てるだろうかと考えると、あまり自信はない。ただ、親のどちらかはその相手をするべきだと、自分の両親の態度を振り返り、そう思うのだ。私は待ってもらえた側だ。
 「どうするの!」「さっさとしてよ!」と、子供を萎縮させながら選ばせるなんて、子供の考えたり表現したりする機会を奪ってしまっている。ものすごく勿体ないと思う。そんなに一刻も早く決めなければいけないことでしょうか。世の中そんなに皆、常に急がないといけない!のでしょうか。
 大げさに言えば、物事を決める時、それはある物事の色々な面を考える時間である。優柔不断な子供がいたら、確かにイライラはするのだが、その子なりに、その物事の色々な面から見ていると思ったら、それほどイライラもしない。この子の頭の中で、「これはこういうところが良いし、あっちはああいうところが良いなあ」と考えたり天秤にかけたりしている時間である。考えて選んだ結果なら納得するではないか。時間がないと思うなら、少し誘導すれば良い。相手の考えていることを引き出して、どっちに傾きかけているかを知り、誘導してみる。その結果、違う方を選んだとしても、誘導したことで考えが進むことはあるのだ。あからさまに急かして決断をせまったところで、相手には後悔の念が残ることがある。相手は押し付けられた感じがある。もっと考えたかったかもしれない。時間がない時は誘導。それで充分だ。大事なのは「自分で考えた」という感覚を味わってもらうことである。そんなの親の気持ちの余裕と工夫次第なのだ。