映画を観ていて、ほんのちっちゃなことばかりだが、英語を聴き取れる時にそのニュアンスを考えてしまうことがある。本当に大した部分じゃないです。
 『オデッセイ』の中で、「hey there」と芽吹いてきた葉っぱに声をかけるシーンはすごく良いのだが、これは確か「やあ」と訳されていて、そうしか訳しようがない。私ももちろんそのくらいがちょうど良い相場だと思う。でもこのニュアンスが良いのです。「hi」でも「hi there」でも「hey」でもなく、「hey there」。何気ない言葉だが、優しくて気さくで心がこもっているのだ。ジャガイモの芽を発見した時の喜びを表した時の「hey there」と、地上の雑草を見た時の「hey there」。ちゃんと存在を認めているよ、というニュアンスが含まれる簡単な挨拶。どちらも新しく芽吹く命に愛おしさを感じていることが伝わってくる。何て軽くて、何て心のこもった挨拶なんだろうと思った。
 そしてもう一つ、ここは非常にハッキリしていないのだが、船長がワトニーを自らの手で救いに行くシーンで、「my boy」といったような言葉を使ったのではなかっただろうかと記憶している。ここが帰国子女の頭の中を一番わかりやすく説明できるところだと思う。私の頭の中に残ったのは「もう前みたいにmy boyを逃がしたくないの、二度と」という言葉なのだ。幼い頃に住んだ経験があるって、こんな程度なのだ。そしてこんな風に頭の中で混乱しているのだ。順序もおかしいし、「もう二度と」の意味の言葉が二度も文中に出てくる。多分英語の単語が聴こえてきたのと日本語の字幕が見えたので、記憶の中で二回出てきてしまっているのだ。おかしいけど、私にはこの程度の情報量が入って来てしまう。あのシーンが好きで、夫に尋ねたら「my boy」とは訳されていなかったと思うよと言うので「私のボーイでもなかった?」と食い下がった。そんな変な訳のはずがないのだが、この言い方がとても素敵で頭に残っているので、どうしても真相を聞きたかった。「なんて訳されていたかは忘れたけど、boyという単語は出てこなかったと思うけど」と言う。こうやって私の頭の中は聴き取れた単語と、印象的で残った単語が頭の中に入り、訳された日本語も目に飛び込んで来たりして、結構ぐちゃぐちゃなのだ。この「my boy」という言い回しは、船長としての「私のクルー」という意味もあるだろうが、親が息子に向けるような愛情深い言葉でもある。恋人同士使うこともあるが、この時はニュアンスが違うので、この映画では、そうではない。責任と、家族間に匹敵するほどの愛情、といったところだろうか。
 あと、生還していたよ、とビデオに向かってワトニーが話しかけるシーンも「surprise」としか頭の中に残っていない。何と訳されていただろうか。私が日本語に無理に訳そうとしたら、テンション高くなく「てってれ〜……どうお?」って感じなのだ。てってれ〜って、ドッキリを明かす時の音ですね。私にとってのあのシーンの軽〜い「さ〜ぷらあ〜いず」って、そういう感覚です。このくらいの単語なら、皆の頭の中にも残っているはずだと思っている。映画を観終わった後、息子に「あそこ笑ったよね」と言うと、笑いながらうなずいていてちゃんと覚えていたのだとわかった。せめてあのくらいのニュアンスなら、うまく伝わると楽しいですね。