これを書いているのは、映画『オデッセイ』を観た直後で、まだまだ興奮さめやらぬ頃。詳しくは映画のカテゴリーに書いたので後ほどなのである。
 『オデッセイ』が良かったのは、ストーリーそのものなのだろうか?そういうことを追求しだすとよくわからないのが正直なところだ。まあいわばサバイバルものであり、SFものであり、コメディ要素まで入ってきているのではというところと、ありゃミュージカルだというところもある。精神的に追い詰められるとか、心理学的にどうなのだとか論じる感じもなく、主人公やそれを取り巻く登場人物たちに繊細に震えるような心の動きとかあるわけでもなく、色々な解釈ができるとかでもない。じゃあ何が良かったのか。
 これは人によって様々なのだろうか?「優れた人類を見ることが気持ち良い」。私はこれがとても大きい。皆の人柄、自己コントロールとユーモアに象徴されているように、知性があふれているのだ。観ていてとにかく気持ちいい。
 ちょっと映画の内容についての前置きが長くなってしまった。興奮さめやらぬのである。
 今回書きたいのは、映画の字幕のことについてである。翻訳家はすごいなあといつも感心させられる。通信講座でさえ、翻訳という作業は、簡単に私を挫折させた。私は翻訳に向いていないなあとあっという間に思い知らされた。大事な部分を取っ払って勝手にニュアンスだけで訳すとダメだし、この単語は良いからニュアンスさえ伝わればってところもあって、その辺のセンスがまるでない。ある単語に引っかかると、それに引きずられて止まってしまったり、ついついことさらその単語に執着したような訳になったり。あの何秒の間に何文字っていう世界はすごいと思うのだ。そしてユーモアをある程度文字として伝えなければいけない。国が違うとユーモアも伝わりにくく、また文化的な要素もあって、幼い頃に知った基礎がないと伝わらない面白さもある。この一つに「マザーグース」があって、英文学科に通っている時に、尊敬する先生に「教養ですよ」と言われて一生懸命読んだ覚えがある。
 私はだいたい3〜7歳までアメリカで育ったものだから、ほとんど英語を覚えていないのだが、文化の面と発音の仕方だけが身に染みついてしまっている。そしてなんと。ちょっとした聴きとりが残っている。これが便利なのである。便利なようで話せないから厄介でもある。通じているけど、どのように返事をすれば良いかよくわからないっていう。そして、聴き取りも100%には程遠いっていう。だから、子供向け映画でやっと7〜8割くらい字幕ナシで理解できる程度だ。大人向けで簡単な内容だとやはり7〜8割だけど、難しい内容の映画だと3割くらいだろうか。日常会話だと8割大丈夫です。難しい単語が入ってくると途端に「?」となってしまう。ただ映画に関してだけ言えば、気の利いた短い台詞がポンポン入って来るので、混乱することがある。字幕を観て上手いこと伝えるなあ感心したり、この英語のあのニュアンスは伝わらないかあと残念だったり、なるほどこんな風に声をかけるのかと思ったり、聴き取れない人よりほんの少し深い理解をしていると同時に、ちょっと内容に集中できないこともある。