健康について、体の衰えのことをしばらく書いてきていたが、昨年の私の、身体についての関心事は歯のことでもちきり。
 昔から歯医者にはお世話になっていた。
 5歳くらいの頃に通ったアメリカの歯医者。そこにあった絵本や、白黒の砂のようなものが入っているおもちゃが好きだった。呼ばれると、中でちょっと気持ちの悪いおじさん先生が待っている。何かと、ご自身の指にチュッとして、その指を私たちの鼻の上に付けるのだ。今思い出しても気持ちが悪い。やめてくれ。でも腕は良かったようで。よく知らないけど。多分。
 虫歯がないと、「虫歯ナシ」というバッジを帰りにもらった。
 帰国後、受け口を直そうと、歯医者に通った。これは、7年くらい通い続けたのではなかっただろうか。幸か不幸か私の歯は丈夫だったらしく、なかなか生え変わってくれないので、先生が苦労していた。しょっちゅう歯を抜かれ、一度は「それは永久歯では」と疑いたくなるような大きな歯を抜かれた。土曜日の学校が終わると、そのまま宝塚市内の駅から大阪梅田の駅まで阪急電車に乗り、結構歩いてそのビルに着き、治療を受けて帰る。結構大変だったのだが、いつも父か母がついてきてくれて、お昼ご飯を外で食べるのが楽しみだった。グラタンやカレーうどんが私の定番で。
 受け口に関しては、とにかく下の歯が強引に上の歯の後ろ側に行き、中学三年生のある日、矯正に使う歯に対しての針金のようなものが取れた。嬉しくて「ねえねえ、今日の私、ちょっと違うのわかる?」とちょっと面倒くさい聞き方をしたものだ。でも意外と人は気にしていないもので、「ホントだ!でも、前からそんなに気にしてなかった」と笑われた。
 麻酔を歯茎に何度も打ったり、歯を抜いたり、矯正による痛みだったりには慣れていた。歯医者が嫌だとかそんなことは言ってられなかった。何が起こるかわからない時にあまり場面や状況を憶測しないし、できない。だから考えない。良いところとも言えないが、ちょっとアホになってその場面場面をしのぐといったところでしょうか。
 あと思い出すのは、母が「歯だけじゃなく、歯茎を磨くのよ。ピンクになるまで」と割としつこく言っていたので、小学生の半ばくらいから、歯茎がピンクになるよう頑張って磨いていたのは覚えている。
 20代前半の頃。左下の奥歯が痛んで歯医者に行き、親知らずの存在に気づく。もう歯は生えていたのだが、どうにも痛くて、という状態だったっけ。でも抜こうとしたら、意外と大変で1時間くらいかかって先生も必死だった。下の根があごの骨を抱え込んでおり……わーわー……先生が何か言ってるーって、あとは恐ろしくてあまり耳に入ってこなかった。内容が怖すぎた。何にせよ終わってから聞いたわけで、済んでしまったことはもう良いのだ。先に生かすこともなかろう。
 と思っていたのだが、約一週間後、気分が悪くなって吐き、高熱が出た。これが胃腸炎だったのか、親知らずを抜いたせいなのか定かではない。少なくともウチの家族は誰も胃腸炎ではなかったし、誰にも移らなかった。歯医者さんは、家まで様子を見に来てくれた。