ナンシー関展に行った。
 結婚した時から夫は彼女の本を持っており、次々と買い足していた。私も楽しんで読んだ記憶がある。彼女が亡くなって、突然のことに驚いたと共に、よく知りもしないけど、日本の大事な財産を失ったという気がして、とても惜しまれた。彼女はもっと生きて、世の中に対して意見してほしかった。
 その後も夫は本を書い足し、読み続けていたが、私は子供ができて本を読むことがグンと減った。ながらく遠ざかっていたが、この度、日帰りで行けるような距離で、ナンシー関展をするとわかり、夫が行きたがった気持ちに応じることにした。息子は関心がないだろうが、見るときっと興味が湧くに違いない。消しゴムに削られたハンコの顔の幾つかも知っているだろう。
 その展示は、小さなスペースだったが、人がとてもたくさんいた。消しゴムがたくさん並べられており、何より良かったのは、彼女の文章の幾つかが読みやすく垂れ幕に書かれてあったことである。
 改めて彼女の文章を読んでみて、ちょっとした衝撃を受けた。こんなにも上手に表現していたんだっけ。十年ほど遠ざかっていたから、すっかり忘れていた。ユーモアにもあふれているが、彼女の文章の切り口は素晴らしい。忘れていたが彼女はテレビが大好きで、芸能人を始めスポーツ選手、政治家などの批判をたくさん書いていた。それこそが彼女のすべてなのだが、その批判は本当に的を得ていて、スパスパと切れ味が抜群に良い。決して腐すばかりではない。褒めるにしても、その褒めるところの捉え方が実に上手い。腐したい人でも、決して「悪口」にはしない。テレビを観ているこちら側が「なんかこの人いやだなあ」「なんか好きになれないなあ」「この人、どこか癖が強くて気持ち悪いなあ」「なんだろうこの違和感」と思う部分を、とてもうまく表現している。一言でなく、悪口でもなく、文章できちんと。彼女が、今の時代を生きていたら、このネット文化をどう批判するだろう。批判したがるネットの社会をどう見ているだろう。彼女の批判は、今の総たたきのように、悪口や汚い言葉を垂れ流すように、下品ではない。悪意に満ちていない。彼女は批判を批判にとどめない。ずっとその人たちを見守っている。そしてテレビを観ている側のちょっとした違和感を、しっかりと文章で表現する。時々は「私はそうは思わないなあ」と思うところもあったけど、人を見る感覚、すべてがすべて一緒のはずがないので、そこは「なるほど、この人にはそう見えているんだな」と思いながら読んでいく。彼女は本当に知的で学があり賢く、言葉の表現が的確である。「なんだろう」とさっきも私が書き連ねた気持ちのモヤモヤしたところを、彼女はポイントを突き、ちゃんと表現できる。まさに文章力そのものなのだ。
 当時、再ブレークする前の有吉に対する感覚、ダウンタウンが何故これほど注目されるに値するかという文、オリンピックを観る人達に投じた一石。どれも唸った。
 息子も熱心に読み、「面白かった」と言って展示会場を出た。
 夫は「伝えること、ってこういうことだよな」と改めて感心しながら会場を後にした。