久しぶりに出してきたCDが何枚かある。
 その中に、シンディ・ローパーのアルバムがあった。彼女のアルバムは、何かのきっかけで高校生の時に、初めて手に取った。
 当時は、シニータの‘TOY BOY’などが流行っていた頃だった。高校二年生の頃、学校で、翌年度のちょっとした体操を自分たちで考えることになっていた。曲も、確かストレッチなどの運動も自分たちで決めたはずである。曲を決める時に、グループ毎に強制的に案を発表することになった。流行りの曲は知っていたが、皆が同じ答えを出すことを嫌う私は当時からあまのじゃくで、何か体操に合うようなポップな曲はないかと考えた。私のグループは誰も洋楽に親しみがなく、何の案も出ず焦った。もう‘TOY BOY’の流れができている。それに適当に乗じておけば良いのに、私は人と違う案を出そうと考えた。この思考回路はいまだにあって、同じものを作ったり同じことを言ったりするのがいやなのだ。性格的なものと、幼い頃培われてしまったアメリカ文化の影響なのだろうか。ただ、今は、もっと適当なので、特に良い案がなければムキになることなく、流れに乗ることにしている。特に女性社会ではそれで良いのだ。ところが当時、あまのじゃく的な反抗心のようなものがあり、まだ世間知らずの若い女の子ですから、一生懸命考えてしまいました。そして、シンディ・ローパーの中の曲を挙げた。しかし、周りの空気を察していた私は堂々と言えなかった。これもまた帰国子女として暮らして、中途半端に同調を知った影響である。言い淀んでいたら、そのグループの中の一人が「なんか、シンディ・ローパーのナントカって曲を言ってるよ。」と言ってくれた。するとクラスは一気に白けたムードになり、そのグループ以外の私が親しくしている友人たちは、私の音楽の好みや自己主張の強い性格を思いやって顔を静かに伏せていた。伸び伸びとした校風の女子校だったのに、私は久しぶりに窮屈さを感じた。
 その記憶が強烈過ぎて、随分年月が経ってからも、シンディ・ローパーの曲が苦い思い出となってしまっていた。自分の嫌な部分を思い起こして頭を抱えたくなってしまう。自分でも嫌になるけど拭い去れない性格によって引き起こした雰囲気。友達たちの思い。
 夫とは音楽の好みが割と合うので、シンディ・ローパーの曲を聴いていたことは話していた。夫は音楽には共感してくれて嬉しかった。そして数年前、とうとう懐かしさの方が勝って、久しぶりにアルバムを手に入れた。
 その後、時々聴いていたのだが、この前改めて聴いて「良いな」と思った。どうしてもその苦い思い出はついてきてしまうのだが、彼女の曲はとても良い。ノリの良い曲からバラードまで。歌は当然上手なのだが、メロディも歌詞も雰囲気も良い。あの時は確かに皆の流れに適当に合わせておけば良かった。だって全校生で一年間聴く曲で、それに合わせて体操するのだから。でも、当時の私に言ってあげたいのは、もっと堂々と言っても良かったのでは?ということだ。それくらい彼女の曲は、明るく、よくできていると思う。