情けない私の英語に対する取り組みを、恥ずかしいことを承知で打ち明けているが、そんなわけで、私は英語が得意でなくなっていった。でも高校生になってからも苦手意識は全然なかった。おめでたいのだが、でもきっとこの程度でも話せばなんとか通じるからという気持ちがあったと思う。なので、テストは悪い点数になっていったが、嫌いにはならなかった。性格ではなく、英語に対する気持ちなのかなと思う。
 さて、そんなわけで、息子があまりにスペルを知らないことに驚き、そんなもんなのだと言い聞かせつつ、心配になる。最初でつまずいて英語を嫌いになってしまわないか。苦痛になるなんて、それじゃあ私の物理に対する意識と同じくらいになってしまうのだろうか。幸い、息子は私より努力家で、脳の働きも違うし、私ほどひどい点数を取るとは思えないが、好きじゃない科目を勉強しなければいけない時の苦痛は気の毒である。一つくらいあっても仕方ないかっていう教科ではない。英語はどんなテストでも必須だ。今後息子が目指したい道を聞くと、やっぱり英語はある程度で良いからできておいた方が良い。
 以前、宿題が大量に出て、横に「○月△日に小テストあります」の記述があった。それって、宿題がテストに出るってことだろう。でも息子はその辺りに関しての「察する」ことがとても苦手。すべてにおいてではない。周りの雰囲気は察することができる。でも、察しないこともある。文に関しても、察することができる内容もあれば、それでこちらが油断していると時々「えっ?そこ気づかないの?」っていうところで、察することができないでいる。そして指摘すると、猛烈な自己嫌悪と闘っている。気の毒なくらいだ。
 そんなわけで、宿題とテストが結びつかなかった息子。前日に先生に言われて蒼ざめ、そこまで一度に覚えられないとヒステリックになっているので、少なくても良いから覚えられるだけ覚えておいでと話した。
 息子の良いところでもあり今後を心配するのは、小学生の間(受験勉強でさえ)、暗記をするという行為をほとんどしてこなかったことだ。理科も社会も授業だけでほぼ覚えて帰ってきたようで、覚えなくちゃと躍起になっている様子を見たことがない。夫もそうだったらしく、傍から見て便利そうではあるが、私の英語と同様、さて暗記しましょうとなった時に習慣がついていないから、最初はどうしたら良いのかわからないようだった。
 今息子は、一生懸命、英語の単語を暗記している。でも、その暗記の仕方を聞いてまた驚いた。ちゃんとスペルを覚えるんです。覚えたそばから、スペルを宙で言う。……当たり前ですか? 私はものすごく考えないとスペルなど宙で言えない。暗記のためにスペルを言ったことなんてない。私は知らない単語やスペルがあると、ゆっくりその単語を声に出しながら書いていく。知らなかったスペルはローマ字読みでも良いから、とにかく頭の中ででも声に出しながらじわじわと書いていく。そうやって覚えていった。もしかしたら、これはセサミストリートの影響なのだろうか。息子の覚え方を聞いてまた驚いているが、皆そうやって覚えてきたのだろうか。発音と共に単語を書いていくという作業は、帰国子女ならではなのだろうか。考えすぎだろうか。まあなんだかんだ言いつつ、息子はその後、頑張って英語の宿題をこなし、結構なスピードで吸収をしている。