帰国子女である私だが、そんな私の息子が、中学に入り、本格的に英語を勉強することになり、一学期、大いに心配した時期があった。こんなこと心配するのか?いやいや予測できなかった。そりゃもうめちゃくちゃ心配だったのだ。
 英語は、多くの生徒にとって初めての教科だから(小学校で習うのは遊びみたいなものだ)、勉強のやり方でつまずいてしまい、嫌いになる生徒が多いと言う。そんなもんなのかと思っていた。そんなことで嫌いになるなんて、もったいないなと思う程度でした。
 ところが、いざ息子が英語の勉強を始めると、私には驚きの連続だったのだ。
 以前も書いたが、私は中学二年いっぱいまで、英語の勉強をほとんどしなかった。知らない単語や覚えきれていないスペルが出てくるとそこだけ覚えた。ところが中学三年の半ば、いつものようにテストに臨むと「あれ?」(できないぞ)と戸惑い、三学期には全然できなくなっていた。高校に入ると英文法を本格的に授業で習い、もう主語とか動詞が文の中に入っていてその順番があったなんて、まったく理解できていなかった。(いまだに疑問なのだが、あの‘svoc’なんかの授業は必要でしょうか。あの時間をスピーキングに本腰入れて費やした方が良いのではと思ってしまいます)いや、国語の主語や動詞くらいはわかっていましたよ。英語の授業は多分ちゃんと聞いてこなかったんでしょうね。えっ?順番?主語?って感じで、大学生の時に塾で教える立場になり、初めて理解した。ああこういう理屈でこういう仕組みなのかって。今思い返しても悲しくなるくらいわかっていなかった。あまりおおっぴらに話せないようなひどい思い出なのだが、息子が覚え始めた単語を聞いて、ああ、そこから知らないのかと驚いてしまうのだ。こんな私が、上から物を言えたものではないが、ああ曜日も知らないのかとか、三文字程度の単語も知らないのかとか、椅子やら机やら太陽やら天気やら親やら子供やら動物やら生活で使うような単語やちょっとした言い回しも知らないのかとか、息子の口から聞く度に驚きの連続なのだ。そんなところから知らなくて、ほぼまっさらの状態から覚えるようなものじゃないかと。
 でも、多くの人がそんなもののはず。周りに、英語の勉強の仕方はどうやっていたのかと聞いてみて、なるほど、個人個人の方法はあれど最初は大変なものなのだと納得する。そして、皆がちゃんと努力してきたことを知る。当たり前だけど。でもやっぱりすごいなと今さら尊敬の念を覚える。そういう努力があってこそ、スムーズに文法に対する考え方もできるのだ。中学三年生、高校生、と英語の勉強を自然に続けていけるのだ。私も謙虚に授業を受けておくんだった。決して傲慢に振る舞っていたわけでもないんですが、正直授業が面白くなかった。授業をしている先生に問題があるわけでなく、内容がです。例えば数学なんかはそんなに得意じゃなくても、問題が面白いので一生懸命解くわけです。わからないから授業も聞くし、聞かないことがあったりしても、帰宅後に自分一人でも一生懸命解こうとするわけで。ところが英語はあまりにわかりきったことを繰り返すので、すごくつまらなくて、家帰ってざっと教科書を開いても新鮮味がないので知的好奇心がまったく刺激されない。そうやってきたものだから、自然に皆の学力が追いついて追い越していくことにも気づかなかったのかもしれない。