人当たり良いという項目もあるが、これは私の周りの印象では、人による。ただ、自分を深く知る勇気を持っておらず、そうすることに恐怖を感じているので、相手にも深く知られたくない。だから、大勢の人に囲まれて上手に人付き合いをしていても実は表面的で、きちんとした人間関係を築くことができない。にこやかにしつつ、相手を心の中では尊重できていない人を見たら、この人、家庭ではハラスメント全開なのかなとかちょっと怪しんでしまうくらい、ここは共通している。人の意見を聞く聞かないに関わらず、相手を尊重していない人というのは話していてわかってしまう。
 そして、こういったチェック項目からわかること、そして被験者や友人たちの話から共通する一番大きなことは、モラル・ハラスメントの人は「あらゆることを人のせいにする」ところかなと思う。不機嫌になるのも、相手を下に見るのも、相手のせいなのだ。「自分がこうなったのは親のせいだ」とかいう子供の甘えがあるが、そんなものではない。私が悲しんでいるのはあの人のせいだとか腹を立てることも時にはあるだろう。でもそういうことでもない。モラル・ハラスメントの夫は、自分が「何かしらうまくいかないこと」が、人のせいなのである。つまり周りが見て、多少他に責任を転嫁する余地があるとしてもまあ本人のせいでしょ、ってところまで全部周りのせいなのだ。人を傷つけ泣かしても、自分のせいではなく人のせいなのだ。だから「人を傷つけても謝らない」。何故なら「傷つけたと思っていない」からである。相手が悪いから。自分のことを自分の問題ととらえられないのだ。
 そしてこれは「イジメ」とも言えることを、被害者側は気づいてほしい。夫婦間でイジメが行われている。相手を束縛して自由を与えないこともイジメだし、自分や家庭がうまくいかないことを相手のせいにすることもイジメである。一方的な攻撃である。
 そして怖いのは、先にあげた被害者の共通項。「自分も悪いところがあった」と簡単に思うところである。イジメに関して、いじめられる方にも原因があるとか言われることがある。しかし、もし本当にそういう要素が本当にあったとして、じゃあいじめて良いわけではない。でも被害者は自ら「自分にも悪いところが」と思ってしまう。だから、イジメだと気づいていない。傷つけられたとは思っているが、自分にも何かしら原因を見つける。
 他人を思いやり、気遣うことは必要だし、相手のことが好きならなおさら、相手に喜んでほしいと少しは自分を後回しにしてでも頑張ることはあるだろう。それは犠牲ではなく、当人の自然な気持ちである。時々犠牲にしていると自分で感じることもあるが、そういう時の私は爆発してしまう。そうでなく、犠牲を感じているのに、自分の感情や考えを表現してはいけないという状態だと夫婦や家族間の関係は健全ではなくなる。
 色々書いたが、当人たちにとって、日々の暮らしで窮屈であったり卑屈であったりするような思いをしていないかどうかなのだろうか。又、そういう思いがあるならば、子供には強く伝わり、間違いなく連鎖していることも、親は自覚していてほしい。
 モラル・ハラスメントについては、多くの人が傷ついている限りまだまだ勉強し考える余地がありそうだ。