帰国子女と言えば、英語ができると思っている人も多いだろうが、私が住んでいた3歳〜7歳というのは、英語力を鍛え、保ち続けるには幼すぎた。
 英語の勉強も努力してこなかったから、高校生の英語は「できない」方の部類だった。
 帰国子女と言っても、何歳の頃に滞在していたかによって、個人個人の英語力は違い、発音の身に付き方も違う。幼い頃の私に染みついたのは、文化や考え方で、決して英語力ではない。聴く力と舌の動かし方、つまり発音だけは残っている。でも喋れない。私は自分で努力して行ったわけでなく、父親の力でアメリカに暮らしていたというだけである。
 大人になってから「どうしてもその文化や風土に身を寄せたくて」思いが強すぎて、また暮らしてみたが、やっぱり人の力を借りていたし、そういう思いで滞在していたため、私の英語力アップには何ら役に立たなかった。
 そんなわけで、帰国子女と言うと「英語ペラペラなんじゃ?」という対応には慣れてはいるものの、否定する時にいつも「謙遜しているのでは」という応対に、ちょっと面倒臭いと思っている。仕方ないとも思っているけど。幼い頃に住んでいたから忘れたんですと説明することもあるが、それでも本当は喋れるんだろうと思われていたりする。もう勝手に思ってください、なのである。別に怒りとかわかってくれないもどかしさとか悲しみとかも感じていない。あー本当にそんなに喋れないのになあ〜と繰り返し思うだけなのだ。
 ただ一つ。どうしても「それは違う」と、ちょっと心がザワついてしまう返答がある。留学と比べられることなのだ。何なら、大人になってから一年住んだとか奥さんとしてついていったとか、そういう人たちと一色汰にされることもいやなのだ。まず大人になってから住んだという人は、3年が私の中での目安である。大人は子供より順応性が低い。だから無我夢中で過ごす一年目。やっと慣れてくる二年目。生活を楽しめる三年目。これを経てきた人なら「住んだんだなあ」と、聞いていて親近感がわく。駐在員の奥さんや外国人の奥さんもガンガン発言することだけを身に着けてきて、思いやりとか場の空気とか当たり前なことを超越したフリをして、虚栄心が強い人が中にはいる。少なくはない。ちなみに名誉のために書いておきたいが、私の母は違う。ズケズケ言うが、家族以外の他人を傷つけてまで自己主張をしない。言わないと負けみたいな妙な押し出しもない。
 そして何より、留学した人。この部類の人と帰国子女はまったくの別物であることを、声を大にして言いたい。留学した人は、努力家である。ちゃんと勉強して、英語を自分で身に着け、現地でちゃんと苦労し、気丈夫な人が多いという印象だ。その地で何とか暮らしていくために頑張ったのだ。ただ、彼ら彼女らは、文化を知っても、身に着いても、染みついているわけではない。それは帰国子女との大きな違いなのだ。そういう方面での葛藤がない。嫌な思いとか辛い思いをしても、葛藤ではないのだ。住んだことのある外国ではこうする、これが常識。と知識やマナーとして身に着ける。そして日本に帰ってきた時、慣れのために多少戸惑いはするだろうが、日本の文化の方が染みついているために、あえて反対してみたり、順応してみたりできる。そこに苦しい葛藤はない。全然違うから!!と、私は心の中でいつも思っている。