車が一台しかないのに、駐車場の広さを二台分作ってもらった。雪が降れば、雪をよせる場所になるし、雪がなきゃないで、お客さんが来た時に便利。余裕があるのも良い。後ろはのり面と言って、駐車場からなだらかな坂となって、庭に続く。これは、雪かきする時にとても良かったと思っている。建築屋さん、ありがとう。だがしかし、ほんの少し問題も起きる。これは後から書いていこう。
 庭の木は、最初から何を植えるか、夫と決めていた。「ナナカマド」は、夫がどうしても植えたいと言い、私は「キンモクセイ」と「梅」。お互い譲れない木はそれだけで、それらを植えても、庭の広さは余っている。何しろ都会とは違うので、安い割に無駄に広い。庭が広いのは、都会の人からしたら羨ましいのかもしれない。夫も、子供が小さいうちは、テントを張ることもできるとか喜んでいた。が、これが意外と持て余すことには、住んでから気付く。
 建築屋さんの提案で、「ジューンベリー」という木も植えることになった。木が三本、だけでは見栄えがしないということもあり。ジューンベリーは、実もなるし、紅葉もしてキレイですよと勧めてくれたのだ。
 そうやって庭も何となくこんな感じという雰囲気が決まった。
 排水溝のフタもお値段がかかるんですね。幾つ要るのかと建築屋さんと話し合って数を決めた。決め事はだいたいこれで終わり。建つのを待つばかり。
 と言いたいが、もちろん少しずつ荷造りの方も進めて行きたい。
 ほとんど引越し屋さんにまかせるにしても、本や下着くらいは自分で詰めようと思い、少しずつ段ボールに詰める。
 また、段ボールに詰め、部屋を整理していくにあたって、不要物を見極めて捨てていくことにした。これが、意外と多いのだ。「要るかもしれない」「使うかもしれない」と思って置いている物。「念のため」とか。要る時は来ないし、使うかもしれないものはそのまま置いてあった。中には「これなんだろう」もあった。「これなんだろう。とりあえず置いておこう」の物があっちやこっちにひっそりと置いてある。そしてこれを機会に夫に見せてみる。「これなんだろう」。たいていの返事は「知らない」である。何で置いてるんだそんな物。と自分でツッコミ入れつつも、意味あり気なその物を手にして、過去の自分に「しょうがないよね」と慰めてみる。息子が赤ん坊から幼児期に使っていた物も、無駄にたくさん置いていて、使わない物や強い思い入れのない物は、どんどんサヨナラである。
 夫の好きな将棋の本も、「読まないなあもう」と言う物は段ボールに何箱も入り、将棋本専門店に送った。その際、いつもお世話になっている宅急便のお兄さんに頼んだりして、少しずつ引越しするんだなあという実感が湧いてきていた。
 ちなみに、「念のため」「要るかもしれない」し「使うかもしれないから」「なんだろうこれ」と思って置いていた物を捨てると、簡単にゴミ袋20袋には達した。