おばさんになったんだなあと実感することは、徐々に出てくるが、40歳前くらいにたくさん出てきて、いよいよ自分がおばさんになったということに抵抗がなくなってきた。
 そうは言っても、息子に改めて言われると、笑えないこともある。何を私はムキになっているのだろうと思うのだが、息子が笑い話として話してくれていても、真顔で「それ笑えない」とか言ってしまう。まあ多分、息子はまだ話の運びが上手ではないだけなのだろう。何が言いたいのかわからなかったりすることもいまだに時々ある。それは仕方ないとして、たいていは、おばさんである自分を受け入れている。おばさんどころか、歳を取ってきた、おばあさんに近づいてきたという自分をも受け入れている。
 ただ一つ。受け入れてはいるのだが本当は直したい、できることなら若い頃に戻したい癖がある。それは一人で喋ったり歌ったりすることだ。
 家に一人でいる時、いや、家族がいる時でも独り言は構わないと、まあ自分を許そう。鼻歌も幼い時や若い時からよく歌っていたので構わない。でも、これが公共の場で出てしまうことがある。「わっ、びっくりした〜」とか、ヒャッとか、思わず声に出てしまい、それを「アラ、声に出ちゃった」とそれほど恥ずかしく思わなくなった時、ああおばさんになったなあと思った。「ああ良かったあ〜」とか「えっホントに?」とか、心の叫び声を、心のものとしてとどめておくことができなくなってきたのだろうと思う。
 しかし。思わず鼻歌が公共の場で出てしまった時には、恥ずかしいとかじゃなく、本当に「これは抑えたい」と心から思った。今も思っている。自制している。
 何故なら、鼻歌は押しつけがましくなることがあるからである。
 心の叫びは、咄嗟の一言である。時には横にいる人が共感してくれることもある。笑えることもある。何となく一体感が生まれる。大げさだ。
 でも鼻歌は、その人の自己満足なのだ。それも大げさだ。
 若い頃、一人で道を歩いていて、鼻歌を気持ち良さそうに歌っているおばあさんとスレ違うと、正直嫌な気がしたものだった。口を動かしていないことが多いので、割と近くに行くまで気が付かない。相手は普通に歩いているように見える。でもすれ違う時、確かに聴こえる鼻歌。もしかしてこの人、自分の歌が周りに聴こえていないとでも思っているのかしら。あなたの歌声なんか聴きたくないんだよとすら思って、その不快さに一瞬立ち止まってその人をジロジロと見てしまうくらい。なんなら、エレベーターでおならをして降りていった人の後に乗らなければいけない時に、その人の後姿をにらむくらいの勢い。実際にはにらまないけど。
 で、それくらいいやだった鼻歌を、ふと外で歌っている自分に気づき、「うわあ!!抑えなければあ〜!!」と思った。多分それくらい嫌がっている人って、少数派なんだろうけど。過去の自分に謝りたい気持ちになって、歌うことを抑える。同時に、過去にすれ違ったおばあさんたちに申し訳ない気持ちも起きる。こんなことくらいで不愉快に思ってごめんなさいと。きっと気持ち良く歌っていたんだろう。私も未熟者だったなあと。
 あれ?健康のこと??