とうとう息子が小学校を卒業した。
 息子ももう中学生になる。びっくりだ。このエッセーを始めた頃は、まだしゃべるのもおぼつかない頃だった。
 小学校六年間は思った以上に色々あった。私の帰国子女からくる辛さに、全然太刀打ちできなかった。でも、たくさんの人に支えられた。意外と周りは受け入れてくれることも知った。自分がハッキリとした友人関係を望んできたおかげとも言えるのだろう。周りには気持ちに余裕のある心の広い人ばかりが私の友人なのだ。本当にありがたい。だから、乗り越えられなくても構わないと思った。それより、何か息子にあった時に、相応の対処をすることに心を砕くようにした。
 一年生の時から宿題を一人で済ませていた。幼稚園の時と同じように、本人は無意識で緊張して帰ってきて、帰ってからストレスを解消するように大泣きした。宿題を隣で見守り、ちょっと間違いを指摘しただけで、いちいちひっくり返って泣くので毎日ケンカ。「宿題を見ない」という結論に至った。早々から、子供の宿題を見守ることができなくなった。
 二年生の時、大地震に遭った。その後、緊張する場面に遭った後にリラックスすると吐いてしまうという癖がついてしまい、毎週末が大変だった。
 三年生の時は、毎日毎日、宿題がいやだと机のある部屋にこもって、教科書とか投げつけながら大号泣していた。
 四年生の時に引っ越した。私も片づけで少しイライラしてしまい、息子に叱ることが増えて、息子も機嫌が悪いと足を踏み鳴らして大声でうなったりしていた。
 クラスの多くの子たちから嫌なこと言われていると聞き、先生と話し、そういうことを言ってきたクラスの子たち一人一人に声をかけた。
 五年生の時、クラス替えがあったが、そのクラスの雰囲気はもっと悪く、暴力を振るう子がいて、他のお母さん方と、先生に話しに行ったり、夫も同行してくれたりした。何度も先生と話しに行ったが、どうもその暴力を振るう子と息子の仲を心配していると勘違いされたようで、うまく伝わらなかった。息子の被害はそれほどひどくなく、もっとひどい被害に遭っている子がいたのに、その話はうやむやにされてしまった。
 六年生になってからは、塾に通った。いやだと思う行事も真面目にこなしたようだったし、楽しいと思う行事は詳細に話してくれて、何もかもを本当に頑張っていたと思う。
 毎学年、何かしら事が起きて、母親としても心穏やかに過ごせた学年というのは、一度もなかった。
 私が得たことは、周りに協力を求められるという、周りへの信頼感と、どんな時にどの程度周りに知らせるか、先生に話しに行くかという判断ができるようになっていったこと。あと、息子の周りの子たちに話しかけたりすることができるようになったことである。