以前、場所の位置関係について、女性はおかしな場所を向いたり指差しながら話したりすることを書いたことがある。その辺に関してだけは、私は‘いわゆる女脳’ではなくて、方角や位置関係は割と把握している。
 でも、他で女脳っぽいところは幾らでもあって、情けなくなったり面白くなったり、色々あるのだが、中でも自分でひどいなと思うところが、車に関してである。
 まず、運転をしている時に、私は自分でそこそこ女性っぽいと思う。なんならおばさんぽい。札幌に住んでいた時は、雪道が怖くて運転できなかった。真冬になると、圧雪されて、アスファルト全体がスケートリンクのように、美しいと言えるほど、ツルツルになる。3月に入って雪がとけ始めると、路地の雪はガタガタで、わだちにハマってしまいそう。だから、今住んでいる場所に引っ越してきて、そこそこ雪が降っての運転にも自信がなく、最初は「こんなの怖くて運転できない」と思っていた。でも、友人が「乗せて行ってあげるよ」と申し出てくれた時のこと。「きゃあ!」「怖い〜」「ひゃあ〜」とか言いながら運転しているのを見て「ああそうか。こうやって頑張っていけば良いのか」と思った。怖い怖いと息を詰めて肩に力を入れるより、怖い気持ちを口に出しつつ何とかみんな頑張っているんだと思った。又、その人の心の声を聞くうちに、みんな怖いんだなと知った。だから、今でも私は「怖い〜」とか「うわおう!」とか、ちょっとした心の叫び声をいちいち声に出しながら運転している。もうそれもほぼ無意識だけど。おばさんだし、あまり気にしなくなってしまった。自分でも、気が付いたらまた騒ぎながら運転しているなあといった感じで。
 次にハード面。車の色とか姿かたちを見て、可愛いとかキレイとかカッコいいとか思うことはあるが、車種とかメーカーをまったく覚えようとしない。
 だからびっくりするくらい、人の車を覚えていない。
 今住んでいる土地が、田舎なので、車がないとどこにも行けないという不便さの中、車は必需品。だから知り合いも皆乗っている。はずなのだが、会わない。多分すれ違っているのだろうが、会わない。気が付かないのだ。どの車に乗っていたかわかっていないからだ。親しい人やよほど特徴のある車でようやくわかる。
 私の車の見方は、まず大体の大きさ。ワンボックスかツーボックスかも含めて。
 次に大体の色。もうそれだけなのだ。
 だから、なんとな〜くしか覚えていない。
 親しい人のナンバーは覚える「こともある」ので、あの大きさであの色、ナンバーは?と確認して、やっとその人の車かどうかを判断する。そして、気が付いたら手を振ったりするが、こちら、白のプリウス。相手も気づいていないことが多い。
 女の人にとっての車。それぞれの認識度合はあると思うが、私の認識の仕方はだいぶひどい。適当すぎる。だからいまだに、白のそれっぽい車に、自分の車だと思って近づいてしまったりするのだ。おばさんと言えども、「あれっ。こんな内装ではないはずだ」と思った時のヒヤヒヤ感や恥ずかしさはどうにかならないものか。