そこへ、太宰治の『人間失格』であった。私にとっては衝撃の作品であった。高校生の頃である。中学や高校の頃は、電車通学だったので、その中で幾らでも本を読み進めることができた。そして、ウオークマンで音楽テープも聴いて楽しんでいたということもやっぱり付け加えておこう。しつこいが、バリバリの文学少女ではなかったのだ。読書は、楽しみの一つといった程度である。
 『人間失格』は、思春期の私の心に響いたし、何よりこういうスタイルの小説があるのかと驚いた。それから太宰治の本をあれこれと読んでみたが、生粋の文学少女ではない私は、やはりすぐに疲れてしまった。夏目漱石川端康成など、いわゆる文学的な作品にも魅力を感じて、色々と手に取ってみた。小学生の時に読んだ芥川龍之介宮沢賢治も改めて読んでその面白さを知った。
 高校を卒業する頃に、ジェフリー・アーチャーの『ケインとアベル』という本を読んだ。それは、思春期の終わりを告げる頃の、もっとも印象に残った作品である。何度も読み返したし、結婚してからもずっと一緒に持って来ているので、もうボロボロになってしまった。あまりに違う環境で育った二人の半生を描いた作品である。経済界でライバルでありながら、最後にちょっと交わす挨拶は、イキで胸がいっぱいになる。全然違う環境なのに、こうやって二人に接点があることに、当時の私は深い感銘を受けた。生きるってどういうこと?人の一生ってどういうこと?と自分に問いかけ、自分なりの結論を出してスッキリ!!という、初めて味わった感覚だった。感じたことを自分に問いかけて考え、ある程度納得する答えを出す気持ち良さは、もしかしたらこの頃から知っていたのか、この時に知ったのか。
 大学生になると、2回生の時の授業、英米児童文学で、たくさんの本を勧められた。その先生の話がとても魅力的だったので、その先生が勧める本は、ほぼすべて読むようにした。先生は、日本の児童文学もたくさん勧めてくれた。読んでいない本がたくさんあったので、勧められると片っ端から読み、気に入った作者の本をさらに読んだ。一時好きだったのは、灰谷健次郎の『兎の眼』『太陽の子』『少女の器』である。涙を流しながら読んだ。3回生になると、その先生の授業を専攻し、やはり勧められる本を積極的に読んだ。たくさんの児童文学の名作を知り、有名じゃなくても本を「読みこむ」面白さを知った。
 大学卒業後、少し本からは遠ざかっていた。
 夫となる彼と知り合った時、高橋源一郎を勧められた。そこでまた衝撃を受けた。自分の「感性」だけで読まなければいけないような内容に、感情がヒリヒリして、涙が出て辛かった。究極の文学をつきつけられた感覚だった。それから、『ハイぺリオン』を勧められたが途中で怖くなってやめた。でも『指輪物語』はどうかと勧められると、夢中で読んだ。夫は、読書家だと思う。決して「いわゆる文系」ではないけれど。色々な読み物を手に取っている。エッセイや対談モノが圧倒的に多いが、読むことが好きみたい。漫画も山のように読む。ちなみに、最近は忙しすぎて、あまりじっくりと本を読む時間がないようだ。「最近の僕は、本を読んでいるんじゃないよ。本を買っているんだよ。」と、悲しそうに言っているのが、少々気の毒である。