「巨匠」というお笑い芸人のコンビがいます。彼らについて特別に語るつもりはなかったのですが。ネタを幾つかしか観たことがないし、特別に気に入っているわけではなく。ただ「パチンコ玉を競馬新聞でくるんでいるとオジサンが出来上がる」というネタに、爆笑した。「最低のクズ」ということを、コントを通して表現していく。演じている当人が、ギャンブルから抜け出せずにいるから、いわゆる自虐ネタになっているのだが、客観性もあってとても面白い。パチンコに依存しているオジサンたちをの目を「碁石のような目」と表現し、「彼らには心臓がなく、病院になんか行かないからバレることもない」と言う。
 それ以来、「碁石のような目」」という表現が気に入り、度々使うようになってしまった。
 さて、そんな彼がネタの間、着ていたか着ていなかったかわからないが、何となくイメージとして「ジャンパー」が頭の中に残っている。きっと、ギャンブルにハマって抜け出せずにいる悲しい人が着そうなジャンパー。そして、そんなジャンパーが我が家にある。
 元々、息子のための上着を、と思って買った物であった。背が伸び、どの上着も小さくなってしまい、新しくジャンパーを買いに行くことにしたのである。ところが当日、あちこちと買い物に行って疲れた息子は、そこのショッピングセンター内でジャンパーを買ったら良いと言い出した。子供用のはもうどれも小さくなってきたので、大人用のコーナーに行った。そこのショッピングセンターで作成した物であるから、何となく垢抜けない。あれやこれやと迷って着せていると息子も段々面倒くさがってくる。こちらも色々と着せすぎて感覚がおかしくなってきた。一体どれが良いんだか。そして、お互い疲れたところで「これで良い、もうこれで良いから。」といった感じで決めた。すごく深〜いグリーンの入ったカーキ色の、薄っぺらいジャンパーである。本当に昔ながらの「ジャンパー」と言った感じである。
 その後、某チェーン店に行ったら、ほんのちょっとオシャレで可愛い上着がたくさんあり、すごく後悔した。だいぶ後悔しつつ、買っちゃったからと、外で改めて息子に着せたら、おそろしくおじさん臭くなった。まだまだ童顔の息子は可愛い雰囲気なのに、それを着るとおじさん臭すぎて、母親である私が倒れそうなくらいだ。
 夫がその姿を見て「巨匠みたい」と言った。
 なるほど!!おじさん臭いというより、ギャンブル臭いんだ。競馬してそう。競艇してそう。パチンコしてそう。童顔の我が息子が。……悲しくなってしまった私は、それを近所でゴミ捨てとかちょっと行き来する時の自分の上着とすることに決め、息子には別の上着を買った。男性がこれを着ると、何となくシャレにならないという気がして。
 もったいないからと、夫を送り迎えする時にもせっせと私が着るようにした。着る度に、夫に「巨匠みたい」と笑われる。あはは!そうね!とか一緒になって笑っていたが、夫を車から下ろし、「行ってらっしゃ〜い」と手を振った自分の手が、その深―いグリーンに覆われているのが目に入り、自分がおじさんになってしまった気がした。早くボロボロにしてしまいたいという気持ちを抑えられない。でもそうなるには、着倒さなくてはいけない。何度もおじさんにならなければならない。何度も「巨匠」にならなくてはいけない。こういう服に限って、長持ちしちゃうんだよなあ。