本について書くことは、あまり気が進まなかった。
 本についての意見や評価は、好みのものでなければ、読んでいても面白いと思えず、私が書くと、もっとつまらなくなるだろうなあと思っていた。それに、最近はあまり本を読んでいない。正確に言えば、コンスタントに本は読んでいるのだが、内容があまりに偏っている。どうしても興味のあるカウンセリングだの、家族関係だの子供の心だのを読んでいるので、他の本を読む時間がなかなかない。特にストーリー性のある物や小説は、その世界に入り込むまでがちょっと面倒になってしまって、読まなくなっていた。ストーリー性がある物であれば、せいぜい漫画である。漫画を、このカテゴリーに入れて良いものか、一瞬迷ったが、私にとって読み物として、同じ種類に入ると思っているし、両方合わせてやっとそこそこの量になると思うので、同じカテゴリーに入れることにした。漫画については、本のことについてが一段落してから少しずつ書いていき、それが一段落したら、その時その時で読んでいる本、或いは漫画について書いていきたいと思う。
 私が本をもっともよく読んでいたのは、高校生から大学生の頃だと記憶している。
 元々ものすごく本が好きだったわけではない。小学校3年生の頃だったか、母が推薦図書になっている本をどっさり買ってきて、部屋に置いていた。嫌いなほどでもなかったので、何となく手に取ったら、止まらなくなった。置いてある本を次から次へと読み、何日かですぐに全部読んでしまった。「本て面白い!」と思った最初の経験である。
 それから、当時の家庭にはよく置いてあったであろう「少年少女文学全集」という物が我が家にもあった。結構な分厚さで、全然興味をそそらない表紙で、小さな字で、あらゆる文学小説がそこに載っていた。世界で有名な話はもちろん、日本でも有名な話が載っていた。小公女とか小公子に夢中になり、宮沢賢治芥川龍之介にも夢中になった。
 幸か不幸か、私は体が丈夫ではなく、風邪をひきやすかったため、本を読む時間がたっぷりあった。ベッドの上で、手がダルく冷たくなるまで本を読み続けた。4〜5年生の間に、何十巻かあるその分厚い全集のほとんどを読み終えた。他にも何か読みたいと思って、本屋に連れて行ってもらい、『レ・ミゼラブル』や『赤毛のアン』など、少女が好む本を積極的に読んだ。
 中学生になると、赤川次郎のミステリーが流行っていて、もれなく私も、友達と本の貸し借りをしながら読んだ。今はあえて書かないけれど、小学生や中学生の間もそれ以降も、漫画をある程度読んでいたので、読書好きの文学少女ということではなかったことも付け加えておく。そんなに凝り性でもないし、本にしろ漫画にしろ、新しい世界を知り、それを読むことが面白くて仕方なかっただけなのだ。
 推理小説は、アガサ・クリスティーなどもちょこちょこ読んだが、あまり私に向いていなかったようで、推理と話に出てくる怖い場面にすぐに疲れてしまい、何か別の読み物はないかと思っていた。