以前、私は帰国子女であることについて、トラウマから抜け出せそうだと、随分力説をしたはずなのだが。……残念ながら、まだであった。
 とか、軽く書いてみているが、本当にとても根深くて自分でもビックリしてしまった。前回書いた時なんか、まだまだだったんだと気付いた。
 息子の小学校のクラスで、また問題が起きて、息子のことだけでなく、私はクラス全体がこんな雰囲気で良いのかと心配で、余計なお世話を焼いて先生と話した。私は自分がある程度納得できるまでは、質問をするし、こうしようと強く思ったことは、行動に移す。気乗りがしないことはしないし、気持ちが固まるまでは時間がかかることがあっても、迷うということはあまりない。割とすぐに行動に移すし、質問するので、悩みもあまりない方だと思う。考え込むことはあるけど、自分が納得し結論を出すまでの考えなので、そこで辛いとかはあまり思わない。考える過程は、意外と楽しい作業なのである。しかも考え抜いた先には、清々しい気持ちが待っている。私は考えることをいとわない。
 しかし。今回、考えた結果、こうしないと納得しないだろうと思い、行動に移そうとしたのだが、その行動に移すにあたり、なんだかわからない苦痛が私の体中に現れた。
 息子が、1〜2年生の頃、「参観日、観に来てね!」と言う息子の気持ちに応えるべく、学校に行くのだが、それが苦痛でならなかった。苦痛が自分の過去に起因するものだということはよくわかっていた。帰国子女の記憶。息苦しさ、窮屈さ。自分は何故皆と違うのだという恐怖。それは、持ち物やちょっとした言動だけでなく、根本的に……生き方が違ったのだ。小学1年生にして、それを感じたのだ。
 それまで自己主張をしなければ、バカにされる世界でやってきた。人と違うやり方で絵も動作も言葉も、自分で考えて表現しなければ、軽蔑されていた。自分は何ができるか、どういうことが得意か、言葉にできないと、何もできないヤツだと思われる世界だった。
 これが、すべて逆なのである。
 自己主張をしたらいけない。似た感じの絵を描き、突出しない動作で、人が言ったこととそう違わないことを言って、自分がとび出ないように気を使わなければいけない世界。何が得意かを表現することはもちろん、ニュージャージーでの文化だって、言い方がある。ちょっとした謙遜の精神もあるし、伝え方のマナーやルールが暗黙のうちにある。でも、日本ではちょっとした表現でも「自慢」と言われる。自分の得意分野は発揮できない。
 息子に対して、私が乳幼児期から気を付け身につけさせようと努力してきたのが、自分の頭で考えて、選択し、何故そう思ったか、自分の気持ちを言葉で表現し、それに対して責任を取ってもらうことであった。どんなに小さくてもである。言葉が話せるか話せないかのうちから、息子の元来の性格も手伝って、私はそこにとても気を使った。
 しかし、それが日本の公立小学校ではやはり「普通」ではないという空気であった。浮いているかもしれない。私はそれをすぐに感じ、息子を生きづらくさせていないか、何度も罪悪感と闘った。でもその度に出る結論は「これで良い」であった。