『フットルース』を何十年ぶりかに観てみると、田舎町に引っ越してきた都会っ子という設定についても、今回は強く印象に残った。
 正直私は都会っ子である。宝塚というのんびりした街で生まれたものの、大阪と神戸という大都市にはさまれ、電車で気軽に遊びに出ることができた。アメリカに住んだ時もニューヨークがすぐそばという街に住んだ。ニューヨークには度々遊びに出た。大人になってからも、札幌に住み、大都市とはいかなくても人口200万人近い立派な都会である。私はそういう環境に慣れ、また、そういう人間関係、合理性に慣れていった。
 だから、今の街に来た時は、札幌の寒さで感じた以上の強いカルチャーショックを受けた。そうか、私って都会っ子だったんだ、っていう。
 今の街に引っ越してきた時に感じた田舎臭さは、ショックだった。合理的ではない。要領が何かにつけて悪い。人との距離感もよくわからない。グイグイ来られるのだが、訛りや方言が強くて何を言っているかわからない。うっすらと笑いを浮かべて終わることも度々。言葉に関して言えば今でも。そしてグイグイ来る割に、実はものすごい壁を作っていて、決して中に入れてくれない。
 こういった困惑とイライラとしたもどかしさが田舎にはある。閉鎖的で窮屈。どこか行くと誰かに会う。ちょっと知った顔のあの人の、本当か嘘かもわからない噂話が回ってくる。ヨソ者には心を開きませんよといった感じで、どこをとっても自分たちのところが一番大変だと卑屈さや井の中の蛙全開。ストレスが鬱屈しているのではないかと思うくらいだ。でも、話せる者同士の会話を聞いているとうらやましいくらい気楽な関係を築けるようだ。こちらが警戒心を解くと、その分だけ歩み寄ってくれる。そんな田舎街の感じが、映画でもよく描かれていて「わかるなあ」と何度も共感した。
 音楽に関しては、私が特に好きだった曲があって、そのアルバムをもう持っていない今でも、その一曲だけは手元にある。曲自体も可愛いのだが、主人公の友達が踊りを覚えるシーンで流れていて、そのシーンも可愛い。主人公の友達は、素朴だが、表情や反応が素直で豊かで、可愛い役柄である。多分当時の私も「この人可愛いなあ」と思っただろう。
 さらに、最後の皆のダンスシーンは圧巻だ。皆、興奮状態で楽しんでいる様子だが、観ていてもワクワクし、こちらまで一緒に楽しくなってくるシーンだ。
 そこで、ブレイクダンスを披露してくれて(それまで特別重要な役柄でもなかったと思われる)その時だけ注目を浴びる人がいる。その町ではダンスは禁止されていたけど、皆ちゃんと踊りたい気持ちがあって、きっと練習していて、ちゃんと踊りが上手なんだよ、禁止されたってどこかで人は覚えるものなんだよ、って言いたいのかな。と、これも当時感じた記憶がある。当時の私は、そのちょい役どころではないあまりにも一瞬の出番の彼にちょっぴり恋をしたことを思い出した。きっと彼は陰で練習していたんだ(という設定なんだけど)とか思うと、キュンとくる。
 思わぬタイミングで久しぶりに観た『フットルース』。気軽な青春映画だよ、だなんて甘く見ていたら、色々な部分で、そこそこの衝撃を受けます。