ピアノの音色が好きだということはよく書く。あの音、特に和音がなんとも心地良い。あの素朴な音が組み合わさって、耳も脳も気分が良くなるのだ。なので、ちょっと前衛的なピアノの演奏を聴くと、そのすごさはわかっても、ちょっとガッカリしてしまう。緊張感があるので、「私にとっての」ピアノの好きな部分が減ってしまうからだ。
 ピアノに関しては時々書いているが、今回はヴァイオリンの音について書く。
 このカテゴリーの最初の頃に書いたと思うが、私の母はヴァイオリンが弾ける。単に趣味じゃなく、音楽科を出て、オーケストラに参加したり、ヴァイオリンの先生をしたりしていた。おかげで私はピアノを教えてもらえたし、家にはあらゆるジャンルのレコードがあふれていた。父の音楽鑑賞の趣味もある。クラシック、ロック、ポップス、ディスコミュージック。物心ついた時から、私は音楽にあふれて育ってきた。
 幼い頃、母の生徒さんたちが、ヴァイオリンを習いに来ていたのだが、私はその音色がとても悲しく聞こえた。ヴァイオリンの音色は、私にとって「泣かせる」音なのだ。何でなのかわからないけど。感情の細かな部分に直接訴えかけてくる音なのである。だから、その音とメロディを聴いて、自分の悲しい感情に浸り、涙を流していた。そうやってわざわざ近くまで音を聴きに行って泣きに行っていたことすら覚えている。4〜5歳の私が、芝居がかった感じで悲劇のヒロインになりきり、泣いてみるという……なんなんでしょうねそれ……。まあなんか泣きたい気分の時はそうやって過ごしていたのだ。
 その時の自分の精神状態は分析できないが、もっと幼い物心つかない頃から、そうやって、ヴァイオリンの音を聴くと、私は泣いていたらしい。周りの大人は「お母さんとの時間が、ヴァイオリンに取られたと思って泣いているのよ」とか言ったらしく、母も釈然としなかったそうだが、おそらく、物心ついた頃の私が感じていたように、ヴァイオリンの音色に対して、感性を刺激されていたのではないだろうかと思われる。私は母が、音楽の先生として家の中で活躍していることを、幼い頃からむしろ誇らしく思っていたので。ただ、ヴァイオリンは難しそうという気持ちと、「泣ける音」なので、私の気持ちが持たないと思っていたので習わなかった。すんごく疲れそう。しかし、ピアノは音がとても和むので、ピアノを少し教えてもらった。
 今、ヴァイオリンの音を聴いて、実際に泣くことはない。当たり前か。
 でも、最近気付いた。
 映画音楽を聴いていた時のこと。映画音楽は色々な楽器を使って、様々な場面に応じた音楽を流しますよね。一曲の間でも、必ずしもオーケストラの典型的な構成ではない。で、ある曲を聴いていて、間奏でヴァイオリンの音が際立つ瞬間があるのです。そのシーンは、心は動かされるものの、泣くようなシーンではないのに、そのヴァイオリンの挿入部分で、私はどうしても胸がいっぱいになるのだ。何度その部分を聴きかえしてもそうなる。
 ヴァイオリンの音は私の感性に、強く鋭く訴えかけてくる。全身でそれを感じてしまうのだ。相変わらず、私の神経はヴァイオリンの音に敏感らしい。何かが脳のどこかを強く刺激して、心を動かされる。なんなのかやっぱりわからないけど。