時々起こる子供による残虐な事件に震撼する。
 数年もしたら、その子供に関わった人たちや、精神科医、少年院勤務、カウンセラーなどがその子供の発言を取り上げ、家族関係を分析し、本にしてくれるので、読んで考える機会があるのだが、事件が起こった直後は親としては毎度不安になる。我が子が加害者になってしまわないか、被害者になってしまわないか。
 最近は、ネットで簡単に情報は入るが、どこまでが事実かどうかはわからない。ニュースでも表向きのことしか言わない。事件の直後だし、「理解できない」と言ってみたり、「近所の人の評判はどうである」「友人たちの評判はどうである」などと伝えてみたりする。多くの人が心のどこかでそんなことが知りたいのではないと思っているはずだ。私は直接的な動機、ここ数年のきっかけだけでなく、成育歴を知りたいと思う。幼少期からそこに至るまでの過程。そして家族関係。子供が思春期であることによって、なかなか子供の考えていることは把握できないであろう。ただ、そこに至るまでの親子関係はどうであったのか。本当にまったくわからなかったとしたら、世の親は、どうやって自分の子供に対してそういった事件を防げるのか、見当がつかないから知りたいのだ。
 驚愕するような事件が起きる度に、特に未成年者の事件については、色々と少年犯罪者の更生に関わってきた人々の本を手に取った。犯罪の形も違えば、個人個人の性格も家庭環境、学校での環境も違う。が。やはり、共通点というのは浮かび上がってくるのだ。
 凄惨で世に大きなショックを与えた事件は幾つもあるが、その中で、逮捕された直後はしばらく「反省の弁を口にしない」とか「誰でも良かった」とか「無表情に淡々と応じている」とか言われて、大人たちもショック状態に陥る。何でそんな風になった??と。何故感情がない??と。しかも、周りの評判は「普通の子」。だから、「学力は高かった」だの「発達障害」だの「精神鑑定」だの、どこか普通じゃないところを必死で探して、「だからなんだ」と納得させようとする。精神的にどこか異常だったと納得させたいのだろう。
 又、被害者にも何らかの非があったのではと探る場合もある。
 でもそれは違うだろう。と、そういったコメントを聞きながら思うのだ。何故なら、自分が親だからである。
 子供は、勉強が好きな子であれば、自然と学力は高くなる。発達障害の気がある子なんて、山のようにいる。そういう子供の精神状態が正常でなければ、皆そのような事件を起こすのか?そうではないだろう。そんな子はやっぱり同じ学年でも学校全体でも山のようにいる。普通ってなんだよ、ということになる。大人から見て「普通に見える」って。
 そもそも、大人から見て「良い子」が問題だと、最近は口酸っぱく専門家も言ってきているし、私程度に勉強している人もわかっていることである。大人にとって良い子は、大人にとって「都合の良い子」なのだ。大人にとって「普通の子」は、大人の基準で普通の子なのだ。大人がざっと見渡して、「普通なんじゃないの?」くらいに思っているだけだ。
 結局表面的なことである。評判なんてその程度のものなのである。