さて、あとは息子の面白い癖である。
 考え込む時の、片手で輪を作り口にあてるポーズは、物心つかないような幼い頃から変わらない。これは、夫にそっくりで「こんなものが遺伝するのか」と愕然とした覚えがある。
 そして見ていてつい笑ってしまうのが、何か動かす時に、動かすべき方と逆の方を動かす変な癖。
 これは私の父親から来ている。私の父が誰に似たのか知らないが、とりあえずわかっているのは、私のそういう部分は父に似ている。そして、息子もそんな部分が似てしまっている。つまり、父と私と息子は、動かすべき物の逆を動かしてしまうという変な癖がある。
 納豆をかきまぜる時に、皿の方を回してしまう。それがちょっと変だと気付いて、さも名案だと言わんばかりに「お箸を回せば、普通にかきまぜる倍をまぜられるよ!」と、息子が私に言ってきた時には、私と同じことを考えていると笑ってしまった。
 以前、父が皿洗いをする時に、食器洗剤を皿の方にパッと撒いて、それからスポンジでこすったのを見た時に「変なやり方!」と言った瞬間、あっ私もよくそうやっていることがあると気付き「……私みたいに……。」といたしかたなく付け足した。父が「何それ」と、苦笑いしていた。客観的に見ると変だと思うのだが、普段、本人は変だと思っていない。時々我に返るんだけど。息子も、そうする時がいつか来るのだろうか、というくらい、反対を動かしたり、反対側に働きかけたりする。
 歯磨きをする時、私はさすがに手を動かすが、私の父と息子は、頭を動かす。鏡を見ながら、頭を激しく動かす息子を見て内心相当笑っている。父と息子、そっくりである。くらくらしないのだろうか。
 私に関して言えば、何かのフタを開ける時に、フタではなく下の中身がある方を回したりして、自分でも「またやってしまった」「変だな」と思うことはあるが、やめられない。気がついたらやっている。ちなみに、私は歯磨き粉のフタを動かさず、本体の方を回してフタを開ける。意識してフタの方を動かしてみたが、数秒後、気付いたら本体も動かしていた。変だな。
 ある本で、子供が親である自分と同じ場面で泣いていたとして、それは同じ「悲しい」という感情であるとは限らないと書いてあった。それを読んだ時「わあ、すごいなあ。本当だよなあ。」としみじみしたことがある。息子の場合、私とは違う部分が多いので、それほど同一化しないで済んでいるが、それでもそのくらいの勘違いはしていることが多々あると思う。似ている部分が多い親子だと、なおさらそう思うだろう。同性だとますますそうかもしれない。母と娘が、母親にとって難しいのはそういう部分だと思われる。時々娘がほしくなるが、いなくて良かったと思うこともある。切り離して考えるのは難しいことだろう。似ているけど、ある部分では「私はそうじゃないよ」と娘側は反発しなければいけないし。親子は似ているけど、違う。自分の息子が色々な人のDNAを引き継いでいることを日々感じて、自分とは違うことを実感し、面白がりながら暮らしている。