物を落としたり失くしたりは、私に似てしまった。もっと言えば、私の父親から来ているものだと言える。父は、結構大事な物を失くしたり落としたりしては、母に呆れられていた。これが私にも言える。私は大事な物も時には失くすが父親よりは少ないと勝手に自負している。ただ、内容はマシと思っていても頻度が半端じゃない。ここにも何度か書いたことがあるかもしれないが、帽子や傘の忘れ物は相当な量である。どこで忘れたかも忘れる。大人になっても時々、立ちあがって数歩で、周りの人に「お忘れじゃないですか?」とか声をかけてもらい、助かっていることも多々ある。学校でも文房具をしょっちゅう落として、何度も何度も拾う自分のことがいやになっていた。息子もしょっちゅう落としている。息子は気づかないことも多いので、周りに色々言われてしまっているが、少しずつ気づき始めてはいる。ただ色々言われる息子が可哀相にもなる。
 他に、息子は、赤ん坊のころから喜怒哀楽が激しく、外では無意識に緊張をためて帰ってくるタイプで、とにかく外では真面目、四角四面に物事を考えて融通がきかないタイプだったので、なるべく情緒の安定や「良い」加減を身につけてほしいと、あまりうるさく言わないようにしていた。どもりもあったし。とにかくストレスを解放して自分の気持ちを言葉にし表現できるようにすることが、息子の成長のテーマであった。私自身、そういう子供に育ってほしいという願望もあった。自分を表現できる子。自分の意見を言える子。自分の頭で物事を考えて、人と違っても冷静に自分の意見を持っている子。周りに左右されない子。ただ、それが強調され過ぎたのか、日本の公立小学校の現場ではなかなかそれが認められないことが多く、これで良かったのかとわが身を振り返ることが多い。見ていて辛くなることも。ただ、その生真面目さは元来あったものとも言えて、そこは夫に似たと思う。生真面目なくせに、私に似てフザけているところもあり、まあ本人の中ではそうやってバランスを取っているのではないだろうか。
 と勝手に考えている。
 性格については、今後の環境の変化や出会いもあって、息子に影響してくることだろう。気質的にはこれまで書いた通りである。陽気なのは誰に似たのか。息子の性格の得なところである。気持ちの切り替えも早い。ただ早いからと言って忘れているわけではないことも、親としては心にとめておかなければと思っている。過去の話をほじくり出さなくても良いが、何かもめた時、お互い納得がいかないことがあった時、その後楽しそうに過ごしていても「あの話だけど」と言うと、自分の意見を言ってくれる。こちらの意見に耳を傾ける。そうした時は、やっぱり話して良かったと思う。話し合いが終わると、息子は嬉しそうな顔をする。幼い頃は、話し合いが終わると、よく「わかった、ありがとう。」と抱きついてきたものだった。今はさすがにそこまではないが、まだ色々話してくれている。これもそのうちなくなるのかなと思うとちょっと寂しいなあ。