何だかいつの間にか、「おじさん」という存在が愛おしくなっている。
 その感情とは少し違うと思っているのだが、男の人の好みは、あまり外見にはとらわれない。いやだという外見はあるが、それ以上に表情とか態度とかが大事。内面に関しては昔から一貫していて、知性とある程度の文化や教養への興味、無頓着さと包容力を求めている。こればっかりは幼い頃からである。頭が良くて好奇心旺盛、無邪気でありながら、女の子の対しておおらかというか「まあまあ良いじゃない」って感じで穏やかに見守ってくれる人が好きであった。最近、そういう人は自然と「おじさん」に多いと気付いた。
 そうやっておじさんのことが愛おしいと自覚するようになったのは最近のことである。
 気がついたのは、息子とステッカーを選んでいる時だった。息子は、似たようなスーツケースが並んでいる時、他のと区別するための個性がほしいとのことで、私はステッカーを提案した。そこで一緒になってステッカーを見ていたら、「今日こそ出せる気がする」と書いてあるステッカーがあった。おじさんが、カメハメ波を出そうとしているポーズだ。ぶふ……。吹き出してしまった。「今日こそ出せる気がする」シリーズは、他にもう2ポーズあった。どちらも何だか情けない。「3つあるから余計に面白い」とかぶつぶつ言いながら、私は3つとも購入してしまった。買ってから、早速クリアファイルに貼った。貼って眺めてみると、「なんだこりゃ」と遅ればせながら思った。3人のおじさんが「今日こそ出せそうな気がする」と派手派手しくも情けないポーズを取っている。こんなクリアファイル、私が持つようになるなんて。でも、見ているとなんとも微笑ましく、愛おしい。
 昔からおじさん方の恩恵にあずかっていたことも多々。
 幼い頃から、何か親の手伝いとかちょっと褒められるような大人びたことをしたりすると、大げさに褒めてくれたのはおじさんだった。そんな時は嬉しくなってもっと頑張っちゃうのだ。母方の親戚のおじさんで可愛がってくれる人がいた。塾の先生の何人かも。実際の年齢は若かったので、今思えばおじさんではないのだが、態度や雰囲気がどうにもおじさんくさかった。そういう先生方も格別私を可愛がってくれた。小学生で引っ越した時も、休憩中の引っ越しスタッフの中に気楽に入っていって、自慢話をしたら、ノッてきてくれるのはおじさんだった。手のひらで上手に遊ばせてくれていたのだ。わかってはいても、その温かさとかおおらかさが嬉しいものだった。
 大学生になると、若い女の子に甘いおじさん方は、私たちの多少のミスも見逃してくれるのを感じた。それに存分に甘えていたと思う。愛想よくニッコリしておけば、おじさんたちは色々見逃してくれる。
 社会人になると、またまたおじさん方に好かれた。ケーキ屋のパートをしていた頃、その店が入っているデパートのお偉いさんが、軽いノリだろうがすごくアプローチしてきて気持ちが悪かった。結構冷たくしていました。しかも途中で気づいて突然冷たく……。
 その後事務所で働いた時は、当時の私にしたらおじさん方(まだ30前後だったのだが)に構ってもらい、助けられ、かわいがられた。あらゆる場面で、彼らは私に救いの手を差し伸べてくれた。