夫に「ナルコレプシーなんじゃない?」と笑われたが、別に聞きたくない内容のわけでもない。今回の場合、特にストレスに思うこともなかった。むしろ聞いていなければいけない瞬間であった。まあ夫も笑いながら言っていて本気ではない。しかし私はこの先もこんな調子で大丈夫なのだろうか。夫は「今まで40数年間、乗り切ってこれたんだから、この先もそうやって乗り切っていけるんじゃないの?」と笑っている。ああ笑っている。私も笑っている。笑いごとで良いのだろうか。息子は失笑している。
 道理で、小学校の頃、知らないうちに色々なことが決まっていたはずである。「あれっ?いつの間に、あの役割が決まっていたんだろう?」「あれっ?でも、いつの間にあの子に決まっていたんだろう?」「あれっ?これから何をすれば良いんだろう?」「あれっ?みんな何で段取りがわかっているんだろう?」「あれっ?先生の言っている意味がわからない。前置きがあったのでは?」ってことがよくあった。
 「あれっ?」ばっかりだ。意識がない。ぼーっとしていたことすら覚えていない。
 「帰国子女だからよくわかっていない」「転校したからよくわかってない」と思っていた。でも、大抵は何らかの説明があったはずなのだ。中学以降は、皆の仲が良かったし、おっとりのんびりしたタイプが多かったため「今先生、何の話してるの?」「今何か決めてる?」とか平気で周りに聞けたし、周りもちゃんと説明してくれたり、一緒になって「知らん」とか言う子もいて笑い合ったりして、あまり不自由はなかったように思う。既にダメだ。
 そう言えば、お兄さんと弟にはさまれた友達に「お兄ちゃんがね」と説明された時、私は「お兄ちゃんいるのか〜。弟がいるんだと思ってた。」と言い、その後別の機会にその友達に「弟がね」と説明された時、やはり私は「弟がいるのか〜。お兄ちゃんがいるんだと思ってた。」と見事なボケをかましたことがある。しばらく経ってから、「○○ちゃん(私の名前)て、しっかりしてそうで(そもそも何故「しっかりしてそう」に見えるのかもわからないが)意外とボンヤリしてるよね」と笑われて、この話を例に出されたことがある。
 他には、ゲームをする時に、ルールの説明を聞くのが苦手だ。昔から「とにかくやってみようよ。」と、ゲームをやっていって覚えた。誰しも多少あることだろうが、大人になってからもこんな調子である。息子にもそういう時はあるが、私よりはちゃんと説明書を読んでから、ある程度を理解しようとしている。最近の私なんか、もう堂々たるものだ。読んでもわからない時は「意味がわからないから教えて。」と聞く。一度の説明じゃわからず「わからなかった。違う説明の仕方ないの?」とか「例に出してみて」とか、息子の説明力アップに貢献してしまっている。そこまでしても「説明聞いてもやっぱりよくわからない……。」と茫然自失の私を、息子が苦笑いして見ていることもあるくらいだ。
 ああ、大人なのに。
 大人なのによ!!って三村にツッコミ入れられそうだ。大丈夫なのだろうか、私。