主人公が、アメリカ歴代大統領の執事をしている間に、歴史は、大きく変わっていく。
 執事らしき仕事を初めて教わったのは、父親を殺された、主人公である子供を、気の毒に思ってか、そこの家のおばあさんが、綿摘みの仕事から家の中の手伝いをさせたことに始まる。「ハウス・ニガー(「ニガー」は、黒人に対する蔑称である)」と呼ばれ、その後、考えた結果、家を出ることを選び、さまよう。そして、あまりの飢えのために、盗みに入った所の人に救われる。そこで「ハウス・ニガーならできる、僕は使える人間である」ということを伝えると、盗みに入ったことより、「そんな言い方をするものではない」と強く叱られ、諭される。この人が、そういう仕事の、立ち居振る舞い、行動だけでなく、心の持ち方、人としての誇りを教えてくれたのだと思う。「執事」という仕事に対する尊厳。
 彼は、おそらく才能に恵まれていたお陰もあるのだろう、とても気の利いた対応ができる。その後、ホテルのバーで徹底した接客の経験を積み、大統領の執事に抜擢された彼は、数々の緊迫するシーンでの返答を求められる。黒人の問題について、歴代大統領何人かに大事な問題について問われた彼は、その度に、それ以上でもそれ以下でもない、大統領の意を後押しするように、しかし自分の考えを自分の言葉で短く、返事をする。
 こういった「白人に仕える」ことが、彼の息子にとっては、屈辱的なことに映った時期もあったようだが、息子にとっての母親、つまり、主人公の妻が「あなたは、そのお父さんの仕事で生きているのよ」と叱るシーンが迫力であった。主人公も、奥さんも、その仕事に誇りを持って、毅然としているのだ。そんな奥さんも、寂しく不安な思いも抱えていたようで、その気持ちの重たさや辛さもなかなか胸に迫ってくるものがあった。
 息子が取り組んでいることと、主人公のしてきたことは、内容に、穏やかさと激しさ、時間をかける感じと急ぐ感じ、などと違いがあり、激しさや急ぐ感じがないと、改革も行われず、声も届かなかったのだろう。しかし、主人公の仕事も結果的に同じことであり、立派だったと思う。彼の発言により、大統領たちが考えを固め、黒人を少しでも暮らしやすい社会にするよう、法律を変え努力をした。主人公である彼が、身を持って、黒人も品よく振る舞い、知的に会話できることを証明してみせた。
 私が一番印象に残ったシーンは、何度か出てきたが、各地で起きた黒人の運動に対して、黒人たちが、テレビを見入っていたところである。行動を起こした黒人たちだけでなく、それらを、息をのんで見つめていた黒人たちも山のようにいたのだ。ネットで、幾ら乱暴な言い合いがあっても、炎上と言われるくらい議論がなされても言われている「物言わぬ人もたくさんいる」ということ。声を上げる人たちだけでない、本当に多くの人々が、世の中の情報や、その動向を見つめている。賛成もあり、反対もあり、応援もあり、心配もあり。その、テレビを黙って見つめる眼差しの真剣さ、重苦しさで、ああそうだ、行動を起こした当人たちだけでない、見守っている人たちもたくさんいたんだ、と思い返された。皆、心配し、不安になり、世間がどう対応するのかと息を吞んで見守っていたのだ。
 私たちは、その事実と同時に、表に出てこない人たちの気持ちを考える瞬間も必要である。これはどんなことに対しても言えることだ。人間の持つ想像力。大事な部分ですよね。