帰国子女の、日本での英語発音について書き連ねたが、『モヤモヤさまぁ〜ず』の、狩野恵里アナウンサーに話を戻しましょう。
 かのうちゃんは、アメリカからの帰国子女である。発音は良い方だが、時々どうしてもカタカナ英語が出てくるので、幼少期の滞在ではないはずだと調べたら、やはり小6〜高2の頃であった。
 でも私が常々思っていることは、発音は二の次、三の次だということ。正しい発音は?って聞かれると、徹底的に直させてしまったり、「それって、違う単語に聞こえる」と笑ったりすることはよくあるが、アメリカ人と話す時に、自分の英語が貧相なものであることは知っている。発音は良くても、簡単な日常会話しか喋れない。相手が何を言っているか大体わかっても、返事ができない。単語も大体聴き取れても、その単語の意味自体がわからない。ちゃんとした発音で返事をしても、聴き取ってもらえないこともある。
 英語を現地の人と話す時に一番大事なのは、少々文法が間違っていても、単語の使い方がおかしくても、堂々と大きな声で話すこと。その次に大事なのは、単語の意味をたくさん知っていることである。相手の言っていることもわかるようになるし、自分もその単語を発して相手に会話が通じるようになる。そして最後に発音。発音がその国の言葉に近ければ通じやすいのは確かだが、声が小さく、返事もろくにできないとバカにされる。自己主張をしないと軽蔑される。これは、子供の頃も大人になってからもつくづくそう感じた。
 かのうちゃんの発音は完璧ではないが割と良い。でも、彼女の良い所は、堂々としたところである。英語を話す時、会話も慣れているので、ちょっとくらいおかしかったり単語が出てこなくても、それを補う言葉で乗り切る。そして、さまぁ〜ずに、憎たらしがられてもめげずに堂々と話し続けるところである。英語を話すことを、日本人は憎たらしがったり、カタカナ英語であるべきところをちゃんと発音したりすると憎たらしがる。私たち帰国子女はそれに対して、何故気を付けて生きなければいけないのか。
 かのうちゃんを見て、「これで良いじゃないか!」と思った。カラオケで、私もついカタカナ英語をきっちり英語発音にしてしまうが、周りが白けてしまうと、仕方ないなあ、ごめんなさい、という恐縮した気持ちで縮こまっていた。でも、かのうちゃんは堂々と歌い、憎たらしいとか言われても、萎縮もせず、まったく変える気配がない。
 そうか。周りにどんな風に思われようと、それを「これで良い」って続けていたら、そのうち個性として認められるんだなという、わかってはいたけどなかなか心は晴れきらないことを、目の当りにして、私は軽い衝撃を受けたし、見ていてすごく嬉しくなってきた。
 かのうちゃんは、普段の表情は、やはり過剰ににこやかで、やたらに気を使っている。そこは帰国子女の経験から来ているからか、アナウンサーという職業柄かはわからない。
 ただ、本気になったかのうちゃんは違う。運動する時もピアノをする時もふてくされ顔になり、周りにどう見られているかなんて気にしない。ちなみに食べ方も豪快。英語の発音もどんなに憎たらしがられても変えないで堂々としている。
 かのうちゃんは、私にとって、帰国子女の星である。