『モヤモヤさまぁ〜ず』に出ている女子アナウンサー狩野恵里さんについて書いている。我が家では「かのうちゃん」と勝手に親しみをこめて呼んでいるので、そのまま書きます。
 『モヤモヤさまぁ〜ず』は、色々な街を散歩して、そこでグルメとか観光とかで有名な場所になるべく入らないよう気を付けつつ、‘そうではない、ここって何?’っていう、モヤモヤした感じの店や場所に積極的に入っていく番組である。
 そこで、さまぁ〜ずは、素人に対処し、その場その場で起きるあらゆることを笑いに変えていく。かのうちゃんも一緒になって色々とする。例えば走ったり、ピアノを弾いたり、その場で求められると、あらゆる体験をする。
 さて、彼女について何故私がここまで書きたいのかと言えば、前回書いたように、彼女は帰国子女なのである。
 帰国子女の特徴として、私を含めて言えることだが、非常に、いや‘過剰に’周りに気を使うところがある。特に、「強い自己主張、表現をしなければ、軽蔑される」ような国に行って文化を身につけ帰ってくると、自己主張してはならない日本で、どう振る舞って良いかわからず、とにかく大人しくして周りに気を遣い、目立たないようにする。そのストレスは本当に強いものなのである。大人になってから行くと、その強い自己主張を単にキツイことを言えば良いと勘違いしている人もいるが。そうでなくても、言いたいことはハッキリ言える人になりやすい。でも、子供はその矛盾をどう処理して良いのかわからない。怒るべき時にも怒って良いのかわからないのだ。これはおかしいよっていうこともそう言って良いのかわからない。だから、当たり前に日本人が怒ると「ああ、これは怒って良いことなのか」「これで普通だよね?」「これって一般的な考え?」などと安心する。周りの顔色を過剰に伺い、気持ちをためこむ。帰国子女の中には、過剰適応と呼ばれる人が多いと思う。そして段々と大人になるにつれ、友達たちの反応を見ながら、ああこれで良いんだという機会が増えたり、時々顔をのぞかせる強い自己主張を受け入れてもらったりして、段々とストレスが減っていく。ただ、今でも私は周りの意見を聞いてからでないと判断できないことがある。自分の感情や気持ちには忠実で、自分の考えもしっかりあるが、それを表にして良いのかどうか、一旦保留し、周りに聞いて確認することが時々ある。
 一つ、私が恵まれていると思うのは、当時小学校では英語は習わず、英語を習い始める中学生の時から私立の女子校に通っていたので、発音を日本語訛りでなく、アメリカの発音のままで平気で話せたということである。誰もからかわないし、憎たらしがらなかった。と思う。むしろよく褒めてもらい、嫌味なく感心してくれた。他にも帰国子女はいたので、皆平気で自分が住んでいた国の発音で、英語の授業を受けていた。周りの生徒たちにも気持ちに余裕があったのか、受け入れてくれたと思う。少なくとも嫌なことは一つも言われなかった。学校によっては、そういう風に話したり文を読んだりすることが許されない雰囲気で、本当は話せるのに、わざわざカタカナ英語で言わなければいけない所も少なくはないらしい。