夫と出会って、自律神経が左右されないことに、こういう相手もいるのかと思ったのだが、お陰で涙もあまりおさえないで済んだ。「私は人前では泣かない方」とかいう言葉も、女性ならではの嘘くさい計算づくのものではないかと思われそうなくらい、私はボロボロと夫となる彼の前で泣き、結婚してからもボロボロと泣いた。そのうち我慢するようになって一人で泣いたりもするんですけどね。でも、昔のように極限まで我慢することはない。
 ところが。最近、我慢して泣くことも減ったのだが、単にストレスが減ったからなのか、感情がマヒしているのか、鈍感になったのか。どうしちゃったのだ。
 「泣く」ということで思い浮かぶのは、赤ちゃん。でも、赤ちゃんはどんな感情であろうと、「不快」=泣くでしか表現できないので、本当によく泣きます。少し育って幼児期の頃だって、言葉が感情に追い付かないのでとにかく泣いて訴える。泣いて怒る。
 じゃあ、子供が何か関係しているのだろうか、とふと思った。
 子供ができてから、私もよく泣いた。それまでの人生で怒った分は、あっという間に超えたくらいに、子供ができてからよく怒った。怒ると後で必ず泣いた。息子に「僕の前では泣かないで!!」と幼稚園年少の時に言われて、やっぱり息子の前では滅多に泣かなくなったが、感動する場面や、二人で辛い感情を分かち合う時には一緒に泣く。
 何か思い当たることがあるとすれば、もらい泣きということが減ったのである。何故なら、我が子の泣きが、私の遺伝子が過剰になったのかってツッコミ入れたいくらいにすごいからである。毎日飽きもせず、「大」号泣していた。号泣して、色々なストレスを発散させているようであった。夫も「まあこんなもんだよ」と言っていたし、夫の「子供の頃に泣いたエピソード」を聞いていると、なかなかのものであったが、息子はまあよく泣いた。
 それに付き合っていられない。というのが、正直な気持ちだ。毎日振り回されたが、それでも泣き顔が可愛いこともあったし、譲れないことで叱る時にはどんなに泣かれても動揺しなくなっていった。子供の気持ちは受け止める。泣いても良い。ただ、これだけは譲れないことは、泣こうが喚こうが、許さない。ただ、負の感情を受け止め、子供の言い分も聞きつつ、こちらの意見を説明する。そのやり方を繰り返していくうちに、子供に泣かれたくらいで自分の感情が動くということが減っていった。もちろん、感情が動いて、大いに怒鳴ってしまうこともあった。これからもあるかもしれない。ただ、そういうことでは一緒に泣かない。
 そうやって親業をやっているうち、親としての気持ちが、言語化できるほどハッキリするようになった。子供は親の存在がとても大きい。親が何か言えば、その倍くらいを受け取って感じてしまうことが多々ある。親はさほど思っていない。なので、子供が親にひどく傷つけられると大変なダメージだが、親は子供に傷つけられても、悲しかったり怒ったりするものの、大したダメージはないというのが本当のところである。だから、子供が親に気を使うことは本当はおかしなことなのだ。心理学を勉強していて、そうやって子供が親の顔色を察して行動することがいかに健全ではないかがわかったが、実際に経験してみると、本当にそうなのである。