よく耳にする言葉なのだが、「年を取ると涙もろくなる」とか言う。
 きっと多くの人が実感していることなのだろう。科学的にもきちんと説明できるらしい。涙腺が細くなることとか、感情をつかさどる脳のこととか。
 でも。
 私はそうでもないなあというのが、私の実感なのだ。むしろ、「あれっ、このくらいなら前は泣いていたのに」と思うことが増えてきた。テレビで感動のシーンを観ると、簡単に涙が流れていたのに、ちょっと目が潤むくらいで終わるようになった。私の場合は逆なのか?何故?……と思ったのがきっかけで、今こんな文章を書いているのだが、まあそう大した結論もなく、自分で「ふ〜ん」と思っているだけなので、とりとめない感じになると思いますが。
 幼い頃から私は泣き虫であった。幼児期のダダこねの頃も、例にもれず大癇癪を起こし、大泣きしていた。兄に意地悪を言われると泣いていた。ただ、泣くのがとってもいけないことだと思っていたので、物心ついた時から、過剰にこっそりと泣くようにしていた。それでも人前で泣くこともあったけど、幼い頃からそうやって心がけていたせいか、人前で泣くことを極限まで我慢するようになり……さらにまたそのせいなのか、泣きたい感情が常時たまっていて、一人になるとすぐに泣いていた。怒られると泣き、意地悪されると泣き、テレビで悲しい場面を観ては泣き、感動する場面で泣いた。‘お涙頂戴’バレバレでも、なんなのよこの茶番は!とか思いながら泣いた。基本、一人で、自分の部屋やトイレで隠れるようにして泣いた。
 中学や高校の、思春期特有の繊細な時期も、毎日のように泣く材料はあった。別に探していたわけでもないけど、簡単に泣いた。毎日毎日、自分でもどうしてこんなに涙もろいんだろうと思うくらい泣いた。でも、人に見られることは、滅多になかった。
 多感な六年間を同じ中高で過ごし、心を完全に許せる友達たちと出会い、高校三年生にもなると私はこの場所で泣いても良いのではと思い始め、少しずつ人前でも涙を見せるようになった。極限までこらえることはせず、多分、周りの人はこのくらいなのではないかと思うくらいの、ちょっと我慢、程度になった。お陰で友達が泣くと、一緒に涙を流せた。
 少しずつ、過剰な我慢をしなくなって、夫と出会った。
 女の人は、男性と出会うと、様々な感情を抱くものだと思うが、私にとって夫は「好きなのに全然緊張しない」唯一の男の人であったかもしれない。私は遠慮や緊張が過ぎることがある。特に若い頃の私は、どうも思わない人は別として(もちろんどうも思わない相手は当時からまったく平気でした)、好きとか思ってしまうと、意識過剰になっていた。どう振る舞えば良いのかわからなくなり、折角のときめきが動悸、緊張となる。だからなのか、自律神経のコントロールがおかしくなる。なんて繊細な自律神経!!自律神経は、私の心身の中でもっとも繊細である。なんなら、自律神経「だけ」かもしれないくらい、繊細である。困っているが、自分でなかなかコントロールできないので、自律神経に翻弄される私。そんな私が夫に対して、自律神経がどうのってことがなかった。