重ねて書くが、親が子供を違う人間だと認め、自分の意見を言い「合える」関係であればかまわない。その上で大人になってからも子供は親に感謝すらしないのなら、その親には同情もする。頑張ってきたのにねと気持ちに寄り添うこともできる。
 ただ、子供が「苦しかった」「アナタの愛情が重荷だった」「私は好きに生きたい」「アナタのせいで私はこんな人間になった」と訴えてきた時、親は何故それを受け入れられないのだろうか。親がどんなに一生懸命であったにせよ、子供にとっては辛かったのである。子供がそう感じてきたのだ。親がどんなに愛情を注いできたとしても、その愛情は、子供にまっすぐは伝わらなかったということなのだ。
 カウンセラーは、どのような人間関係についてもこう言う。「自分で伝えたつもりでも、相手に伝わっていなかったら、次は相手にどう言えば、どうすれば伝わるかを考え、工夫して、違った方法で伝えるのですよ。伝えたい相手であれば努力しなければ。」と。
 子供が「辛かった」と言ってきた時、私は一生懸命やってきたのにと思うなら、非常に残念だけど、親の気持ちは伝えた「つもり」でも、伝わっていなかったということだ。何故、子供のそういう切実な思いを受け止められないのか。
 「そうだったのか。アナタはそう感じていたのか。私の愛情はアナタを苦しめていたんだね、ごめんね。」これだけのことが気持ちになり、言葉にできないものか。さらに自分の考えや生い立ちも語れないものか。言い訳になったって構わない。子供が怒りや悲しみなど、負の気持ちを訴えてきた時、お互いを知る最大のチャンスが巡ってきていると考えるべきである。親子が本気で子供の気持ちに向き合わず、語り合ってこなかった証拠が、子供たちの反撃ではないのだろうか。
 子供にとって、親を好きとか嫌いとか、感情的にどう思うかとか、恩とか感謝とかは、すべて別モノである。相性もある。親は自分が産んだ子だからと、そういった違いや区別を認めない傾向にあるが、そこで葛藤することこそが親である。そして子供はその種類の葛藤を、親の何倍も抱えて生きている。本当は親の言う通りに生きたいのが子供だからである。だけど、自分は違うのだという葛藤。親にほめられたい、認められたい、という気持ちと、自分の気持ちや感情は親と違うということと闘い続ける。
 私が一番言いたいのは、親は子供の反撃を甘んじて受けなさいということである。自分の生き方や育て方を謙虚に省みる機会なのだ。私も親である以上、然り。である。
 周りの友達で、親という立場になってから、「親と対決したい」と言って頑張った人が何人かいる。「わかってくれなかった」と、親と縁を切ったに等しい友達もいたし、「流されて無視された」と絶望した友達もいた。
 親って強いのだ。人間的に弱い所もあるけど、親にとっての子供より、子供にとっての親の方がずっと存在も影響も大きく、脅威になる場合があること。親子がどんなに似ていると思っても、違った個性を持つ人間であることを、親は知って、認めなければならない。
 子供には子供の考え方がある。子供の人生がある。親が生きられない子供の世界がある。子供は親自身ではないのだから。自分にも言い聞かせなければ。