今回の文を読んだ時に、思い出したことがある。
 大人になった自分の現在の環境や、うまくいかないことを、何もかも親のせいにすることに関して、あるホームページのサイトで討論がなされたことがあった。親のせいにするのは簡単であるがそれだけではいけないという内容であった。私はそれに強く共感した
 まず、子供が親に向かってくる時、言い返したり泣いたり怒ったりしてきた時、それは子供の、親に対する甘えの気持ちなのである。親の思い通りにするため、子供の気持ちを抑えつけたりないがしろにしたりせず、何故いけないか、何故そのように親が振る舞ったのか、どういう気持ちだったのかを後から説明し、しかし子供の感情を受け止めることが大事なのだ。だから、親のせいでこうなった!と訴えてきた時、子供がそういう気持ちでいることを、しんどくても親は受け止めることが役割である。
 でも、それだけでは子供の側としては、ただの不平不満をぶちまけただけに過ぎない。親に甘えるのは構わない。ただ、そこからどう生きるかを考えるのは、子供本人である。どう生きるかは、次世代にどういうバトンを渡すかということにつながる。自分を意識し、周りの人や子供への接し方を意識する。最初は感情や理屈がごちゃ混ぜになるだろう。考えたくないこと、思い出したくないことを、熟考することは、勇気とエネルギーが要るだろう。だが、しっかりと葛藤を重ねていくうちに、きちんと分けられるになる。その作業が面倒だったり辛かったりして、人はそこを省き、負の連鎖が断ちきれない場合も多々ある。
 子供を通して、色々な親を見るが、気の毒なのは、同世代の子たちや先生の前では無秩序だったり意地悪だったりするのに、親の前では良い子をできるだけ頑張って貫いているという子供である。何故そうなるのかは、親が安心できる存在ではないからだ。家庭が安全な場所ではないからだ。親が「良い子でいなさい」と、自分の接し方の至らなさを、「自分にとってやりやすい良い子」でいさせることでカバーしようとするからだ。そして、要領が良い子は、良い子でいることを一生懸命に演じ、いつかはそれが壊れる。要領の悪い子は良い子でいることを演じられないが、叱られっぱなしで、親に否定されながら育つ。
 親が自分の思うように子供を育てたなあと感じ、しつけもうまくいっている場合、ほぼ、子供の心に何らかの負担や歪みがあることに気をつけなければいけない。その親自身が気付いていないとしても、周りの親は気づいている場合が多い。そのため、そこの親が気付いていないことが本当に歯がゆい。親のいない場で、子供の、家庭や親に対する抵抗が表れるからである。辛そうだとさえ感じる。
 「自分の思うようにどうして育てられないの?」「他人の子はしつけがなっていない」という親ほど、「自分の子供は窮屈で、‘自分’を生きていない苦しさを抱えている」ことを、知らない。「自分はこれだけ子供に愛情を注いで」きて、「これだけ頑張ってきたのだから、子供は感謝するべき」で、子供に反撃されるようなことがあるのは、親がかわいそうだと思うのは、親側のエゴである。