最近気になったのは、母娘の問題に関して、母親側を擁護する文章である。
 ここ何年も、母娘の問題が取り沙汰されて、娘側の言い分が表に出てきた。以前から、本にも出ているが、最近では雑誌にも多く取り上げられている。そのほとんどが娘側からの言い分で、一方通行のようだということ、母親側は一生懸命だっただろうにそういうことを聞かされて、立ちすくむような思いであろうことが、母親側を擁護する意見である。
 でも私は、母親となった立場からあえて言いたい。母親を経験してからしかわからない気持ちがある。そしてそれに関しての思いは、書いてもキリがないほどだが、ここに何とか整理して手短にまとめたい。とは言え、ある程度長くなると思うが。
 確かに、娘側から見た親に対する書籍は多く、そういう意味だけで言えば、一方通行のように思えるかもしれない。しかし、人の心についてやカウンセラーとしての勉強をしてきても、それが単純に一方通行であるとは言えない。例えば、母親からの言い分が聞かれないのは、母親が立ちすくむような思いでなく、反論するほどでもないということも考えられる。母親側はさほど傷ついていないということではという見方もできる。
 いや、傷ついているとしてもだ。子供が母親に傷つけられるほど、母親は子供に傷つけられていないのである。同じ言葉を子供に言われるのと親に言われるのと、どちらが自分にとって大ダメージであるかは、ちょっと考えればわかる。それは実感としてあるし、感情的になった時の親子に関して言えば、親の方が断然破壊力があるからである。特に子供が幼い頃の親は語彙が豊富だし、そこに含まれるニュアンスも無意識のうちにわかっている。子供が成長して大人になっても、どのように言えば子供に大きなダメージを与えるかは、自分が経験してきてわかっていることである。さらに、残酷なことを言えば、親には元々子供がいなかった。子供は生まれた時から親がいる。親が子供を思う気持ちがどんなに強く、愛情に溢れているとしても、子供の側からすれば、親もしくは親代わりの人間がいないと「生きていけない」。その立場で親から傷つけられたら、精神的にであっても、子供は命の危機さえ感じるのである。
 それほど親の言葉は、子供にとって大きな意味を持つ。それが、親にとっては、強く意図したものでなかったちょっとしたセリフであったとしても。子供は親と違った人間だという前提もあり、親と受け取り方や感じ方が違うことは、認識していなければならない。子供が自分の反応や感じ方と、とても似ているとしてもである。
 親って、子供に何と言われようと、自分を変えない。一般的には変えられない。よほどの強い意志でもない限り。でも子供は、親に何か言われたら、自分を変えなくてはいけないのではと頑張るだろう。子供が親に言い返せるような家庭環境であれば問題はない。言い返せなくても、子供が親をどのように考えるか、客観的であれば良い。でも、そうではない人が多く、そうした人を救いたいと考えているのがカウンセラーたちだ。又、そういった子供側が声をあげたのが、昨今出ている本である。まずは親側からの支配や押し付けがあっての、子供からの反撃。言い分。辛い気持ちの吐露である。それを一方通行だと言われたら、また子供側が口も心も閉ざしてしまうのではないかと、私は心配する。