私たちのお願いした建築屋さんは、友人からの紹介で、信頼できる人である。社長として働いている私たちと同じくらいか少し年下の彼は、とても腰が低くて働き者。現場にしょっちゅう出る彼は、時々木の香りがする。その人の後ろを歩くと、ほのかな木の香りに、良い気分になる。彼にじゃないです、木の香りに、です、念のため(笑)。某洗剤のCMみたいに、ほわ〜んて。木の香りって、温かい気持ちになり、いやされる。
 そこの建築会社は、オープンハウスを造って見学させたり、広告を大きく出したりはせず、実際に建ててそこに住んでいる人の家を見せてもらうため、その方々の感想も聞けるし、建築中の家も見学させてもらったりできる。そこで色々と参考にできるのだ。まあ私は、友人の家や言葉が何よりもの参考になったので、友人に色々と遠慮なく聞くことができました。
 そして、地元の建築屋さんだからか、地元のならわしをきちんとしなければいけない感じで、そこも私たち家族は楽しんだ。私の生まれ育った所は関西の住宅街ではあったが、都会である合理性というか、保守的でありながら都会のサバサバした感じがあり、夫の生まれ育った札幌も、北海道特有の合理性とならわしがあり、まあ色々お互いの違いはあるのだが、今住んでいるここはもっと、合理的とは遠い所にあって、地元の風習みたいなものが強いように思う。それに従い、まず地鎮祭を行った。
 と、今は気楽に「楽しんだ」とか書いているが、本当はすごく面倒くさかった。だって、用意しなければいけない物がたくさんあって、しかも何をするのか私はよくわかっていなかったし、準備しなければいけないリストを見ても、何の事だか意味がわからない。私が帰国子女だから?いやいや、無知なだけ?関西人だから?色々思いを巡らせつつ、ネットで調べたり、夫に聞いてみたりしながら、わからないことは友人に聞き、それでも湧いて出てくる疑問は、建築屋さんに直接聞きながら、こちらの方に失礼のないように、家を建てることに関しての恐れ多さも感じながら、この気持ちを大事にしようと、何だか文章まで大げさで長いけど、とにかく不安と心配と心細さとを感じながら、丁寧に準備した。
 「お神酒」って言葉もその時初めて聞いたし、「適当に用意してください」が一番困った。「適当」ってどのくらい?そもそもを知らないのだから「適当」もわかるわけがない。するめいかって何で?どのくらいの大きさ?どこに売ってるの?もう次から次へと湧いてくる細かな質問をするのも申し訳なくなるような下らない疑問。もう銀行の手続きやらでイライラしていたのに、なんなのよ、この準備はっ!!
 とか思ったけど……。……地鎮祭、やってみると、面白い。ユーモアが一つもない川柳みたいになっちゃいました。
 神主さんがやってきて、自分たちが準備したものを棚に陳列。みぞれが降る中、家族三人、厳かな気持ちで、地鎮祭を行った。
 土地にくわを入れる儀式みたいのもした。夫と息子がやって、建築屋さんもやった。おもしろいなー。寒かったが、その儀式にいたく感心して、これをやったからには何だか大丈夫な気がすると、根拠のない(いや、神様的にはあるんでしょう)自信を感じて、満足した。