同性同士の場合、親ってどういう役割を子供に印象付けているのか。
 母娘の関係としては、信田さよ子さんだけでなく、多くの心理学者やカウンセラーが扱っている問題で、たくさんの見解を読んだ。細かく分ければ、視点は少しずつ違って、対応の仕方も少しずつ違って、どれに自分が納得できるかも人それぞれであるとは思うが、困った時に頼れる本は結構ある。
 でも、父息子の本は、あまり目にしない。
 「男に対しての父親」という観点から、育児について書いてある本は、少しずつ出てはいるが、派手ではない。おそらく、父親がそういうこと、育児自体に、やはりまだまだ母親ほどには積極的ではないことが多々あるのだろうと思うのと、もう一つ、父親は、持論に自信があり過ぎて、そういった本を読まないということがあるのでは、と思っている。
 何を根拠に、自信があるのかわからないが、どちらかと言えば、無理して理屈を作り、虚勢張ってるんじゃないの?っていう印象は拭えない。
 あっ、私の父親は、私と相性が良かったのか、娘としては、絶対的に安心できる存在です。自分の理屈を押し付けてくるようなことはない。母に対しては頑固なようだけど(笑)。
 夫も、好奇心が勝つために、私の意見をよく聞いてくれるし、「ここ読んで」と言ったら、文を読んで、議論につき合ってくれます。子育てに関して、持論に固執するようなことはない。一応、身近な二人に対し、フォローしておきます。
 息子もそうなってほしいけど。世の中、自分の好きな分野だけじゃない、色々なことに関心を持ってほしい。まったく興味のない分野なら仕方ないが、色々な人の話を、好奇心を持って素直に耳を傾けてほしい。元々の持論だけでなく、相手の意見も聞き考えてみる、意見を言う、感想を言う、ということができてほしいなあと思うのだ。それこそが議論だからである。そういう風通しの良い家族関係を、私は望んでいる。きれいごとじゃなくて。だって、ある程度、お互いの我慢や忍耐も必要であることが前提で、心にためておかない方が良い感情とか気持ちとか意見とか、交換できる方が良いもの。喧嘩になってもね。
 話がそれてきましたね。
 まあつまり、男の人は、自分の子供と接する時に、もっと好奇心を持って見てみれば、知りたいことも増えるはずなのだ。そうしたら、例えば奥さんが「こんなこと書いてあったよ、どう思う?」と聞いた時に「へえ、そうなんだ、でも僕は〜〜」なり、自分の意見が言えるでしょうにと思う。そこを突き放して「いや、違う」って否定から入ると、もう子供の話はしたくなくなりますよ。そうしたら、さらに、母親は自分で色々解決しようとしてしまい、世界が狭まります。責任も一人で背負って辛くなります。お互いに普段話していれば、夫の意見だって、真摯に聞く気持ちになるでしょう。それに対して意見があれば、主張すれば良いのだ。
 こんなこと書いている私も、毎回うまく話し合えるわけではなくて、感情を爆発させたり、不機嫌になったりすることもあり、お互いの気持ちをはかりかねることも度々ありますが。