私の中では、「帰国子女である」という苦しさは、日本の一般的な公立小学校で、ちょっとした違いを受け入れられない先生やクラスメイトたちへの苦しさなのである。その空間の窮屈さや息苦しさ、教育に対する不満、苛立ち、わかってくれないだろうという思い。組織的なものや、もしかしたら国にまでつながっているのではという不信感、恐怖。
 今回はそれを、直接先生にぶつけた。それほど勢いはないけれど、ある程度納得するまで頑張ってみた。
 私の嫌な面でもあり、良い面でもあるのだが、私は頭の回転が鈍く、半日〜1日経ってから「こういうことだったのかな」と気が付いて、後から腹が立ってくる。ああ言えば良かった、こう言えば良かった、と湧いて出るのだが、そうなった時に、ただそれで終わらせないというところがある。良く言えば、納得するまで粘り強く引き下がらない。悪く言えば、しつこい。でも、納得しないと、悶々とし続けてしまうことが耐えられない。
 なので、先生方にも納得するまで、繰り返したり聞き直したりした。うっとうしかっただろう。でも、それに関しては、まったく罪悪感はない。必要な質問や言うべきだと強く思うことは、それを貫きたい。うまく言えないことがわかっていても。
 「正義感ふりかざして」とか言う先生もいるらしい。理不尽なことを言っているわけではないのに、そういう先生には、私のような人間は「モンスターペアレント」の部類に入れるのかもしれない。でも、私の定義ではそうではないので、「私みたいのは、モンスターペアレントとは言いません」と、あまり気持ちが揺れない。だって、本物のモンスターペアレント、見聞きしたことあるんだもん。私、ああいうことは言わないなって思ったので。
 さらに、先生と話しに行く時、4人が、それぞれの思いがあるにしろ、ついてきてくれた。話し合った後、「応援するよ、味方だからね」と、笑顔で言ってくれた人がいた。
 そして、他の場面で先生と話した後、納得できなかった私は、それまで喋ったこともない親とも話してみた。子供同士は、割と仲が良くて、家の行き来が時々ある。電話して、最近の状況について話してみた。彼女は多少考え方は違うようだけど、決していやがることなく、感謝の言葉を述べてくれた。
 母にも聞いてもらった。こういう「帰国子女だから」という言い訳や、葛藤を文章でなく、実際に聞いてもらったことが、私にはとても大きなことだった。さらに、母は心配して「子供のこともあるし、アナタも傷つくから、そろそろちょっと引いてみたら」と言った。もちろん最終的にどうするかは私が決めることだが、母が私を心配し、なおかつ帰国子女であることからくる葛藤を、受け入れていることが、私の気持ちを動かした。
 私が想像していたよりずっと、皆は私の気持ちを受け止めてくれたし、共感を示してくれた。
 学校に対する不満、先生に対する具体的な不満、も、多くの人が持っていることを知った。それでもどうにもならないこと。どうにもならないけど、でも頑張ろうって言ってくれたこと。
 一つ一つが、私には、気持ちの大きな力となった。