そうこうしているうちに、私は、光を見出していった。
 それは突然やってきた。やってきた、というより、気づいたのだ。
 息子のことを機に、色々な人と話したことが、今の私の気持ちへとつながっている。
 帰国子女であることの葛藤については、いつもまずは夫と話す。夫は、アメリカで知り合ったので、違う文化を身にしみて知っている。アメリカでの違和感も、日本を外側から見た視点も持ち合わせている。だから、帰国子女である私の卑屈と誇らしさがまぜこぜになった気持ちを理解してくれるし、好奇心を持って聞いてくれることもある。遠慮なく話せる。
 それから、こちらでできた母親友達と話す。一人は、大人になってからできた親友と呼べる存在である。大人になってからは、そういった関係は難しいと思っていたが、自分に誠実に生きているから??か、わからないけど。正直に生きていても、いや「から」なのか、心を解放して気持ちを許せる友達って、大人になってからできるものなんですね。
 彼女とは、気を使わず話せるし、自分の意見も言える。彼女と違う面もあるが、お互いわかっていて、そこはお互い踏み込まない。「まあ良いや、そこは違うもんね」って感じなのだ。対抗意識を感じることなく、考え方が違ってもお互いを尊重できる、ということは、友達作りの中で、私にとって、とても大事な点である。子供同士の年齢が一緒ではないのだが、私は彼女の子供たちが可愛いと思えるし、その子たち相手なら、当たり前に遠慮なく注意もできる。彼女も、私の子供の性格や性質を、とても尊重してくれている。
 もう一人、子供が同じ年齢の母親友達がいる。彼女とも話していて楽しい。やはり合わない部分もあったりして、あーそうかあ…と時々強く違いを意識することもあるのだが、そこは割り切っておつきあいしているし、「気になっていやになる」といったほどのことはない。お互いまっすぐな性格が似ているので、意見を言い合える。話も尽きない。
 その二人は、日本生まれ日本育ちであるにもかかわらず、非常に根気よく私が「帰国子女である」ことからくる葛藤を、偏見や先入観なく、聞いて、受け入れてくれる、と私は思っている。ちょっとは面倒なのかもしれないけど(笑)。私の葛藤や辛い思いを、聞き流してくれているか、受け止めてくれているか、どちらにしても、そのために私を遠ざけるといったことはしないので、遠慮なく葛藤をぶつけている。それでも変わりなく自然に接してくれていることが、私にとってとても大きい。
 そして、息子のことで、普段は話さないお母さん方と喋ることになった。
 一人は、数か月に一度、お茶くらいは飲む友達だが、急に電話して「今、こういう状況」「私の帰国子女の闇は深いみたい」「どう思う?」と聞いても、意外と自然につきあってくれた。あまり自分の意見をガンガン言ってくるタイプではないのだが、私の気持ちを受け止めてくれている、という実感があった。以前と変わらないつきあいを、続けてくれている。