私の学校に対する葛藤は「窮屈」である。
 それぞれの「違い」を、バカにしたり、意地悪く言ったりする対象にする傾向、風潮が、昔以上に強くなっていて、それを先生が容認するムードが出来上がっている。
 私はそれを、非常にストレスに感じている。
 1年生の時、皆の絵を見て圧倒された時の気持ちが、息子が1年生の時にもよみがえったように、高学年になると、帰国当時の息苦しさが出てきた。実際に、動悸もしてくる。
 ある時、学年が少々荒れている雰囲気であることを知った。一人の問題なのか、何人かの問題なのか、目の前で見ていないので、知る由もない。先生に聞いても、子供と言い分が違う。立場が違うので、当たり前と言えば当たり前だが、子供の話を聞いていると、先生が見ていない所での荒れが目立つように思った。
 校長先生と話をしに行った。
 その後、保護者何人かと連れ立って、先生と話し合いに行った。
 さらに、夫と一緒に、先生と話し合いに行った。
 事態は、ほんの少し変わっていった。
 ただ、ある先生の言動が気になって仕方なかった。
 一つには、夫がいる時と、一対一で私といる時と、態度が違うのだ。私一人がなめられている、というよりは、わかりやすく「女性を見おろしている」。流行の「上から目線」という言葉でもなければ、「単純に、私という人物をなめている」という感じではない。保護者、こと女性に対して、自分は高みの見物。そういう印象だった。そして熱弁を振るう。協力してくれと頼みにきているのに、何故私の至らなさを指摘するのか。猛烈に腹が立った。そういう風に扱われることには、私はひどく敏感だ。バカにしないで、甘く見ないでと内心憤った。ただその時は当惑するばかりで、私の頭の回転の鈍いところが本当に自分で歯がゆい。
 夫は、特にそういう家庭で育ったとかいうわけじゃないのに、女性を「対等の人間」として扱える。もちろん、区別がないわけではない。ただ第一印象は、愛想がなかった。女性に対して、まず線を引くように感じる。女性と喋るのは、専門的な分野や自分の興味のある内容でない限り、あまり得意ではないと思う。でも、だからと言って決して見下したり、優劣をつけて考えたりしない。女の人を「女性」というより「一人一人の人間」として見ている。なので、話が合うと、男性女性関係なく話す。だから私は、何の違和感もなく、緊張感や嫌な気持ちも抱かずずっとやってこられたのだと思う。
 そういった風に、ちょっとした一言に、女性より男性の方が優れているようなニュアンスが含まれていると、私は非常に敏感に反応するのだ。
 何故かはわからない。帰国子女だから?と思うことはある。あちらは女性を丁寧に扱うので。でも、多分、それだけではないのだろう。確かに、幼少期にそこで培われてしまったものは、大きいと思う。