でも、私が通っていた中高の学校が、大正時代にできた時のエピソードを聞き、自由な思想と校風のいきさつを聞いて、また少し感激した。ああそうだったのか、知って良かった。……と同時に、知らなかった自分にびっくりだ。なんて無頓着なんだろう。もっと知っておいた方が良いことってあるんじゃないだろうか。私は日本史の成績はそれほど悪くはなかったと思うのだが、ほとんど、テスト終了と同時に記憶の彼方に去っていった。今の私は何についても、「そのいきさつ」について、詳しくない。掘り下げると、ものすごく奥の深いことばかりで、つい臆病になってしまうのだが、住んでいる地域のことも、少しは知っておきたいとこの時思った。
 ちなみに、先生がその話をしてくださっている時、私は、やっぱり「先生と生徒」の感覚になった。久しぶりに先生の授業を受けているような。
 話していて思ったのは、「親子関係」と一緒で、会った瞬間、親と子供という関係が、何歳になってもつきまとうように、大人になっても、大人対大人ではなく、会うとすぐ先生対生徒、の感覚になり、そういう意味での甘えが出てしまいますね。
 私がどんな生徒だったのか、それはこっぱずかしくて、先生には聞けなかった。でも、20年以上の時を超えても、私には全然違和感がなく、ずっと知り合いだったかのような話し方になってしまった。先生に質問したり、話を聞いたりしながら、私って中高の頃も、こんな感じの学生だったのかな?と思ったり、いや、こんなに色々話さなかった気がするなあと思ったり。もう全然わからないんだけど。とにかく、先生はお変わりなかった。
 懐かしい名前もたくさん出てきた。名前を聞いて、全員すぐわかった。全然話したことのない人も、顔や髪型や雰囲気まで、すぐに思い出せた。そういう人が、今も学校を訪ねたりしているのかと、ちょっと感慨深くなった。一瞬、何故私は、皆とこんな遠い所に住んでいるのだと寂しくもなったけど、ここに至るまでも、ここでの経験もまた、私の宝なのである。
 先生夫妻と「じゃあまた」と別れた後、タイムスリップから急に現実に戻ってきたような、今のは夢だったのか?っていうような、不思議な感覚で、運転して帰ってきた。
 帰宅後、質問に答えたかった内容と共に、以前書きすぎた自分の今までのことを、短くまとめた。会って話したおかげもあり、だいぶカットされて済んだ。
 ところで、息子に「なんであの時、桃太郎の話をしたの?」と聞いてみると、先生夫妻のどちらか、おそらく、奥様が「昔々のことよ〜」と笑って言った時に「昔々」のフレーズが頭に残り、つい、「昔々……」と始めてしまったと言う。「それで、止まらなくなっちゃったんだ。」ですってえ。