中学高校の時にお世話になった先生と会った。
 関西の、私立女子中高一貫校に通っていたのだが、卒業して、大学生の間に2度ほど、学校を訪ねたくらいで、「先生方に会いに行った」のは1度しかないんじゃないかな。
 その後、結婚し、今住んでいる所まで、大雑把に言えば3回、結構な距離の引っ越しをしているので、現在、そこの学校との関わりは特にない。付属の大学には、幼い頃の息子を連れて行ったことがあるが、そのくらいだ。ただ、大好きな中高だった、という気持ちはずっと持ち続けている。楽しい6年間だったなあと。
 私が高校3年生の時の担任の先生は、社会の先生である。
 中学からは、各教科の先生が教えてくれるものだが、一応、担任の先生はいて、中学三年生の時の担任は記憶が定かではないのだが、高校生になってからは、確かその先生ばかり、三年間続いた。又、私が所属していた新聞部の顧問も、その先生だった。
 その先生は、その学校に来て間もなく担任を持ち、6年間その学年を持ち続けたのだが、それが私たちの学年だったらしい。
 高校2年生の頃だったか、私が、某新聞の投書欄に投稿が載ったことがあった。私らしく、「皆同じ、は気持ち悪い」というような内容だった。
 友達がそれを切り抜いて学校に持ってきてくれて、先生に見せたら、その先生が、皆の前で読んでくれた。そして、その投稿記事を、長い間、職員室に貼っていてくれた。
 ああ、この先生は、私がこういう主張をしたことを大事に思ってくれているんだ、と内心、とても嬉しく思ったし、私の言いたいことが伝わる先生なんだと思った。
 でもね、思春期の頃って、先生に対して、なんか反発心を持っちゃうんですねー。
 新聞部の新聞の出来栄えをちょっと指摘されても、「これで良いんですー」とか言って、要するに甘えていたのだろう。まあ、でもその先生に特別思い入れがあったわけではない。
 終礼(帰りの会、みたいなものです)の時も「男の子が生まれたんだけど、名前を迷っててなー」と先生が言うと「もういいや〜ん」「早く帰りたい〜」とか皆で、失礼なことを言っていた。「おまえらは冷たいな〜」と、先生は苦笑いしていた。
 確か何年後かにまたそんなことがあったような。3人目だったかの報告をしてくれた。3人男子。この記憶は正しかったらしい。
 ある日は、体育の後、早弁をした子たちと、制汗スプレー(それも、それぞれの好みの香り)のにおい、そして汗のにおいでムンムンの教室の中、次が社会の授業だと、その先生が、ガラッとドアを開けて「なんなんだこの匂いはっ!!窓を開けろ、窓を!!」とバタバタ仰ぎながら入ってきたりした。その辺の遠慮のない先生でもあった。
 行事の時にちょっとハシャいで、生徒たちでフザけた時に、そのフザけた行為がとても強い意味を持っていて、教室に戻った時に「お前らはあの意味がわかっているのか?あれは、ああいう意味だぞ」と諭した。その時は、決して怒ったりはしなかったが、無知であるが故の私たちの行為を、知らないからって、軽々しくするものではない、と責任を感じさせてくれた。「ああそういえばそうだった」と気が付き、無知である自分たちを恥じた。