カウンセラーが、いかにすごいものであるか、少しわかったが、実際になってみないと、わからないことだらけなのだろう。ちょっと想像がつかない。
 時々お世話になるスクールカウンセラーの方は、小学生〜高校生、又その親たちと話しているようだが、そんなにまで色々なケースの子や親を相手に、短い時間で、適切な言葉や印象に残る言葉が一つや二つでも出てくること、相手をスッキリしたという気分にさせることは、並大抵のことではない。
 カウンセラーの順番を待っていると、あんな子供が、あんな親が、相談に来るのかーと、驚くこともある。カウンセラーはすべての人に対して、尊敬の気持ちを持って話さないと、カウンセラーとして成り立たない。でも、私は先入観だらけだ。好き嫌いがまず先にくる。
 万が一、私が大学の心理学科を専攻し、勉強して、大学院まで行ったとして、私は、現場で働く人になれないと想像する。もちろん、現場の人にならなくても、あらゆる症例と向き合わなければいけないだろうが、私は学生に講義して、極力少ない症例で話をしていくだけしかできない、あまり現実的でない話しかできない、そんな先生になるしかないのではというくらい、今の私は、カウンセリングという職業に対して、尊敬と畏れの念を抱いており、距離を感じている。
 勉強すればするほど距離を感じている段階なのだ。
 多分もっともっとつきつめれば、こういう気持ちも乗り越えて、現場に立てる人間になるのかもしれないが、私にはそこまでの熱意はないらしい。
 と、気づくのに、長年かかってしまった。
 ただ、好奇心だけは尽きないので、調べたいなーと思っていることは幾つかあって、そのうちの一つは、周りに頼ることもあるけど、それ以上に自分の力にかかっていることなので、ちょっと頑張りたいと思っている。
 人の心は実体がないので、とても不思議で、決まってはいないが、ある一定のメカニズムがある。それに対しての確信は持ちつつ、脳の作りや構造、大きさ小ささなどから考えた視点も忘れないようにしたい。
 とは言え、一番の私の問題は、読んだそばから、結構な割合で忘れていくことです。
 読んだ本も、数か月ぶりに読むと、その時の自分の関心の持ち方にも違いがあるとはいえ、あまりに新鮮な気持ちで読む自分に少々呆れる。
 あとですね、脳のことは、専門用語が多すぎて、難しいんです。専門用語が出てくると、そこの漢字や、苦手なカタカナをサーッと読み流してしまうクセがあります。だからいつまで経っても、部位の名前や、そこの働きなどを覚えられない。覚えようと思ったら、毎日のようにテストでもして、それを1年間続けないと、覚えられないんじゃないかな。それくらい、受け付けてくれない。そしてやっと覚えても、使わずにいると、また忘れてしまう。難しい言葉を拒否する私の気の毒な頭。
 そんなわけで、心についての興味は尽きることがないが、今後の、そちらへの興味との距離について少し考え始めている。