ちなみに、方言というより、イントネーションというより、使う言葉に関しては、アメリカでも細かにあるらしく、最近夫に「これって、何ていう?」「これとこれ、どっちの方が馴染みある?」と聞かれて答えたものが、ことごとく、ニューヨークやニュージャージーのものでした。そんなものだけは、身にしみついているんだなーと今更感じ入った。
 使い慣れていない言葉を、他の地方の人が、にわかに使うものではないという、私の個人的な考え方があるのだが、それはアメリカで暮らしている時に実感したものでもある。
 アメリカで、アメリカ人が使うののしり言葉を、日本人が使うと、同じ言葉でもまたニュアンスが変わってくる。本当の意味をわかっておらず、大体の雰囲気で使うので、傍から見ていて非常に恥ずかしい光景となり得るのだ。大げさというか。だから、子供の頃から長く住んでいて、その言葉の本当のニュアンスをわかっていて初めて、使いこなせる、というものではないだろうか。言葉の表面的な意味だけを捉えて「そうか、そういう意味なのか、じゃあそういうシチュエーションで使おう」ということではないと思っている。あっ、自然とうつってくる場合がありますよね。あれは仕方ない。気が付いたら、こんなイントネーションだった、とか、なんかどうしてもこの言い方がこの場面ではしっくりくるから、とか。それは、住んでいるうちに自然に出てくるものなので、構わないと思います。とにかく、無理に使おうとしていることが違和感なのです。本当にニュアンスわかってるの?って言いたくなる。
 はてさて、長くなりましたが。
 「おめえ」という言葉。この辺でも地域性はあるようだけど、男子でもそうそうたやすくは使わない、ということがわかり、息子に確かめました。そして「友達同士で、‘お前’は良いけど‘おめえ’は、この辺の人が聞いても、不快に思うらしいから、友達が使っていても、そこはやめてね。」と言っておきました。
 友達同士の雰囲気はあると思うが、地元の人がそう言うなら、間違いない。それは、昔から住んでいる人にしかわからないニュアンスなので、従おうと思います。